ひろ せ さい へい 広瀬宰平が関係した別子銅山の近代化産業遺産 |
広瀬宰平 文政11年〜大正3年(1828〜1914) | |
滋賀県野洲市(やすし)の出身。 11歳で別子銅山に勤務し、慶応元年38歳で別子銅山支配人となる。 明治維新に際し、新政府に接収された別子銅山の鉱業権を握り強い交渉により確保した。 次いで、別子銅山の近代化を図り、家法を制定するなど、住友の歴史上屈指の功労者であった。 また幾多(いくた)の会社の設立に関与し、東の渋沢(しぶざわ)、西の広瀬と称(しょう)すべき大阪財政の中心人物であった。 |
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広瀬宰平 住友史料館所蔵 |
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まいん | アイコン | 近代化産業遺産 | キャッチコピー |
こあしたにじょうぞうしょあと 小足谷醸造所跡 |
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こあしたにせったいかんあと 小足谷接待館跡 さいこうかちょうたくあと 採鉱課長宅跡 |
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こあしたにしゅうどうしょあと 小足谷収銅所跡 |
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こあしたにしょうがっこうあと 小足谷小学校跡 |
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こあしたにげきじょうあと 小足谷劇場跡 |
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だいいちつうどう 第一通洞 |
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とうえん 東延 |
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ぎゅうしゃみち 牛車道 |
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からたにさんれんきょう 唐谷三連橋 |
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きりとおし 切通し |
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いしがさんじょう 石ケ山丈 |
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うちよけてっきょう 打除鉄橋 なかお 中尾トンネル |
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くるまや 車屋トンネル ものいわだけ 物言嶽トンネル |
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くろいしえきあと 黒石駅跡 ひのきおがわばし 檜尾川橋 |
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やまねせいれんしょあと 山根製錬所跡 |
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ぶっこくざんずいおうじ 佛國山瑞應寺 |
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ひろせれきしきねんかん 広瀬歴史記念館 |
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きゅうひろせてい 旧広瀬邸 |
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にいはませんこうじょう 新居浜選鉱場 ほしごええきしゃ 星越駅舎 |
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そうびらきのひ 惣開の碑 |