い  ば  ていごう
伊庭貞剛が関係した別子銅山の近代化産業遺産
伊庭貞剛 アイコン

伊庭貞剛 弘化4年〜大正15年(1847〜1926) 伊庭貞剛の写真 住友史料館所蔵
 滋賀県近江八幡市の出身。
 広瀬宰平の甥(おい)。
 明治12年大阪上等裁判所の判事から、叔父(おじ)広瀬の勧めにより住友に入る。
 銀行、倉庫、伸銅所(しんどうしょ)、鋳鋼所(ちゅうこうしょ)などを設立する。
 別子銅山の煙害克服のため、製錬所の移転や植林を実行した。
 人格高潔にして明治37年「事業の進歩発達に最も害するものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈(ばっこ)である」と、58歳大津石山(おおついしやま)の別荘活機園(かっきえん)に隠棲(いんせい)した。
伊庭貞剛
住友史料館所蔵
 
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まいん アイコン 近代化産業遺産 キャッチコピー
小足谷小学校跡 アイコン こあしたにしょうがっこうあと
小足谷小学校跡
日本初の山中の学舎(まなびや)
18まいん フォレスターハウス アイコン フォレスターハウス 別子銅山(やま)を旧(もと)のあおあおとした 姿にしておかえしする
29まいん 坑水路会所 アイコン こうすいろかいしょ
坑水路会所
二十世紀初頭に輝く 環境問題克服の巨大システム
33まいん 第三通洞 アイコン だいさんつうどう
第三通洞
幾多(いくた)の物語を選び 紡いだろう第三の通洞(みち)
72まいん 四阪島大煙突 アイコン しさかじまだいえんとつ
四阪島大煙突
日本初! 公害克服の島四阪島