すず き  ま  さ  や
鈴木馬左也が関係した別子銅山の近代化産業遺産
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鈴木馬左也 文久元年〜大正11年(1861〜1922) 鈴木馬左也の写真 住友史料館所蔵
鈴木馬左也 
住友史料館所蔵
 宮崎県高鍋(たかなべ)町出身。
 明治20年(1887)東京大学法学部を卒業し、内務省に勤める。
 明治22年(1889)愛媛県書記官として松山に赴任(ふにん)して、翌年の別子開坑200年祭に来賓(らいひん)として新居浜に招かれ、これを縁(えん)に明治29年(1896)住友本店副支配人として入社した。
 明治32年(1899)別子鉱業所支配人となる。
 その年発生した別子大水害で、514人の多くの命と施設の全てを失った時、伊庭貞剛の別子造林計画を受け継ぎ、山林事業を起こした。
 また、新居浜の煙害問題も根本的な解決策を示し、物事の正しい筋道に沿った経営を行った。
 その後、明治37年(1904)に44歳の若さで、住友の総理事に就任(しゅうにん)。
 「自分は正義公道を踏んで、皆と国家百年の仕事をなす考えである」と、自分の経営方針をはっきりと示した。
 明治44年(1911)、住友電線製造所(現住友電工)を設立し、我が国初の電話・電力用高圧ケーブルを製造した。
 大正2年(1913年)、煙害対策のため新居浜に肥料製造所(現住友化学)を設立した。
 鈴木が起こした国家百年の事業は今もなお生き続けている。
 
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