木々に覆われた第一通洞南口 |
この写真は1718年より着工した水抜として最初の大規模な坑で代々坑といいます。 この代々坑は銅山越をしないで嶺北の角石原(北口)へと鉱石や高橋製錬所で製錬された粗銅を輸送したり、新居浜側から旧別子へと生活物資などを送るために改され、別子銅山初の本格的水平坑道で、1886年、延長約1021bが貫通し、名称が第一通洞南口となりました。 この第一通洞南口の周辺には、勘場(会計課)、採鉱課、運輸課分課の各事務所などが設置されていました。 現在、鉄格子閉ざされたアーチ型の南口が残されています。
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この第一通路南口のおかげで輸送が比較的楽になり効率が上がったと言われています。 私はこのことについて考えながら銅山越に向かいました。 この第一通洞南口から銅山越への道のりは軽量な荷物であったにもかかわらず、大変疲れました。 このことから、この銅山で働いてた人たちは毎日30キロから60キロを運んでいたことからその頃の人達の過酷な労働の様子が実感できました。そして、この第一通洞南口の重要さを知り、作業の効率が上がったことも理解できました。
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第一通洞南口から望別子の山々
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緑に囲まれた代々坑周辺の360度パノラマ映像をご覧ください。 |