牛車道(ぎゅうしゃみち)

  

      

         

     

    

山々の息吹に誘われ、私たちは歩く  

         

         解説

   

 牛車道の開さくは1876年7月頃に着手していましたが、1877年3月に勃発した西南の役により、労働者や火薬の確保が困難になったことと技術力の限界から、一時、開さくを中止しました。

 しかし、廣瀬宰平総支配人は事態の打開を図るため、1878年2月、工部省鉱山寮技師・大島供清を雇用して、牛車道の開さくを再開させ、1880年11月に、銅山峰から石ヶ山丈を経て立川中宿までの牛車道が完成しました。

  総工費は当時で10万円余りの金額でした。

 その後、1881年4月から、別子山の目出度町から新居浜口屋まで延長約28Kmの牛車道全線が使用されるようになりました。

    

        

       感想

      

    

 牛車道は、現在登山道として利用されており、歩いていたときは 風がここちよく吹き、また景色もきれいでた。

 当時、牛が荷物をゆっくりと運んでいたことを想像し、周りの景色をのんびりとながめながら自然のすばらしさを満喫することができました。

    

    

  大自然の広大さを満喫しました