道の端にはリンドウの花が揺れていました |
”この写真は目出度町鉱山街の入り口です” この入り口から足谷川源流を渡り、蘭塔場山を廻って山中に入ると目出度町です。 別子山中の集落の中で、唯一「まち」と名が付くところからも別子銅山の中心地として栄えていたことが推察されます。 明治時代当初は、重任局(鉱山事務所)、勘場(会計)、大山積神社、住友新座敷(接待館)、住友別子病院、郵便局、別子山村役場、小学校文教場、料亭一心楼、伊予屋雑貨店や住宅が櫛の歯のように並んでいました。 鉱山街を形成していた目出度町も、1916年春の旧別子撤退の際、全ての施設が撤去され、その跡は現在植林され、いまは石垣の跡に昔日の面影を止めるにすぎません。
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この目出度町の繁栄は別子銅山最大といえますが、この繁栄も撤退とともに無くなっています。 銅山の歴史の中に生まれ、そして、銅山の歴史の流れの中、消えていったと思うとなぜか寂しく思えました。 かつての繁栄の面影はなく、杉林が一面に広がっていました。 |
木漏れ日を浴びながら登ります |