高橋(たかばし)製錬所跡

   

        

  

 

  石垣の跡が残るのみです

     

   

       解説

 

 

 ダイヤモンド水の対岸から足谷川上流の黒橋あたりまで続く石垣は、かつて高橋製錬所があったところで、洋式熔鉱炉のほか沈殿地、収銅所、倉庫などが立ち並んでいました。

 ここ高橋製錬所は、明治期洋式の新鋭製錬所として活躍していましたが、その反面新居浜地方の煙害問題発生の影響で拡張中でした。

 1899年の台風によりおきた別子大水害で壊滅的な被害を受けてその後は一部を除き製錬作業は新居浜惣開に移されこの場所で再建されることはありませんでした。

   

           

    

       感想

   

 辺りを見わたしましたが、製錬所の跡はほとんどなく、この場所でおきたことを想像し、自然の恐ろしさをあらためて思い知らされました

 この水害で513名の命を奪う悲劇となりました。

 この水害で亡くなった人達は円通寺(現別子山村白尾の南光院)に眠っています。

 このことを思い、この時代に生きここで働いていた人達は災害と隣り合わせの中にあったにもかかわらず、したたかに生活していたのだと思います。

 

      

    

        清らかな水の流れがありました