画面奥には東延斜坑の石垣が見えます |
この写真は、東延斜坑跡です。これは住友が雇用したフランス人鉱山技術士・ラロックの提言に基づいて、別子近代化起業として開さくされたのが東延斜坑でした。 東延斜坑は、19年と4ヶ月の工期をかけて1895年、8番坑道準の三角まで延長約526bが貫通しました。 この東延斜坑を中心にして、明治時代後期から大正時代初期にかけて東延時代と、よばれるほど、別子銅山史の中でも近代化を象徴する一時代を築きました。
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この写真の赤煉瓦の建物は、東延機械場跡の建物の一部です。 ここには、東延斜坑で使用するための巻揚機が設置されていました。 建物の内部は沼地になっていて機械場の面影は無く、当時の面影になるものは一つもありませんでした。 東延斜坑跡は今は外見を残しているところもありますが、大半は木々におおわれ、自然の中に埋もれていました。またそれが、美しくもありました。
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緑の木々の間から見える赤煉瓦のコントラストが綺麗でした |
赤煉瓦の機械場跡の様子が
ビデオでご覧になれます。 |