第4回産業遺産モデル学習講座

『ラロック・門之助を歩く』

講師: 新居浜市市民環境部次長(当時) 西原 寛 先生

平成12年11月1日 (水)
場所 ウイメンズプラザ新居浜
時間 18:00〜20:00

 第4回目の学習講座は、新居浜市市民環境次長(当時)である西原寛さんによる「ラロック・門之助を歩く」と題して、ルイ・ラロック塩野門之助についてのお話しでした。

 二人の共通点は、「フランス」です。

 ルイ・ラロックはフランス人、塩野門之助は製錬技術を学ぶためにフランスに留学しました。

 西原さんはフランスに研究に行かれ、二人の足跡をたどられました。

 その時のお話を交え、お写真も見せていただくことができました。

講師:西原 寛先生 フランスでの取材のスライドを見せていただきました。

講師:西原 寛先生

 フランスでの取材のスライドを見せていただきました。

 ルイ・ラロック廣瀬宰平が雇用したフランス人鉱山技師で、明治7年(1874)3月から明治8年(1875)10月までの約2年間、自ら別子銅山に視察調査入って別子の山中で生活しながら全山を調査し、『別子銅山目論見書』を作成、完成させた人物です。

目論見書には

 ○坑道の開掘に関するもの

 ○運搬上の施設、道路の建設、鉄道敷設に関するもの

 ○製錬上の施設、溶鉱炉の設置、これに関する煉瓦製造などに関するもの

 ○採鉱上の施設、鉱石粉砕機その他洋式機械器具の整備に関するもの

の四つに分類され

 ◎立坑斜坑とこれに連結する支坑道が必要であること。

 ◎別子銅山から新居浜まで運搬車道の(馬車が通れる広さが前提)の整備の重要であること。

 ◎別子の高橋(かたばし)と新居浜に精錬所を建設すること。

など

 『別子銅山目論見書』は、別子銅山近代化への手引書 となったものです。


 塩野門之助は、はじめはラロックの通訳として廣瀬宰平に雇用されました。
しかし、『別子銅山目論見書』の製錬項目の部分が翻訳すことが出来ず製錬に興味を持ちフランスの鉱山学校に留学した人物です。

サンテチェンヌにある現在の鉱山学校 壁に掛かっている写真が当時の鉱山学校
サンテチェンヌにある現在の鉱山学校 壁に掛かっている写真が当時の鉱山学校

 西原さんは、ラロックの生まれた街や卒業したパリの鉱山学校などのスライドを見せて下さいました。

 門之助は、約5年間の留学を終えて帰国した後、重任局の技師長として惣開製錬所の建設を担当するなど多くのことを行いました。

 西原さんのお話で今まで知らなかったラロックのことがわかりよかったです。

 また、西原さんのご紹介で私たちのホームページがフランスでも見ていただいていることを知り、大変感動しました。
 国外でも私たちのページを見てくれている人がいることを知り、ますますがんばって充実したホームページにしていきたいと思います。
                                                                                            

黒田 美樹

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