1894年 (明治27年) | 第三通洞開さく開始 東平にぺルトン水車設置 |
1902年 (明治35年) | 第三通洞開通(東平坑口〜東延斜坑底)延長1818m 打除火力発電所完成(90kw) |
1904年 (明治37年) | 第三変電所>完成(落し発電所(90kw)からの電気を変電) |
1905年 (明治38年) | 第三通洞に人車導入 東平選鉱場完成 複式索道設置(東平〜黒石) 東平選鉱場完成 東平収銅所設置 第三通洞(東平)〜山根収銅所〜新居浜(磯浦)間坑水路完成 住友別子病院東平出張所開設 |
1906年 (明治39年) | 4月21日 私立住友東平尋常小学校設立(生徒21人) |
1908年 (明治41年) | 東平〜日浦・日浦通洞開さく着手 |
1910年 (明治43年) | 第四通洞の開さく開始 |
1911年 (明治44年) | 2月、東平〜日浦の開通 上部鉄道(角石原〜石ヶ山丈)廃止 石ヶ山丈〜端出場間の複式索道廃止 11月、大立坑の開さくに着手 |
1912年 (明治45年) | 東平娯楽場設置 端出場水力発電所完成 |
1915年 (大正4年) | 6月、大立坑・第四通洞準に到達(582m) 第四通洞開通(端出場坑口から大立坑)延長4596m |
1916年 (大正5年) | 1月、採鉱本部を山頂近くにあった旧別子・東延 から東平に移転 旧別子在住の鉱夫を東平・端出場に移動させる 12月、東平浮遊選鉱試験工場設置 |
1920年 (大正9年) | 9月、東平粉選鉱設備(比重選鉱)設置 「住友予州親友会東平部会」発足 |
1922年 (大正11年) | 3月、粒選鉱設備設置 「住友予州親友会」鉱夫交際部ができる |
1923年 (大正12年) | 第1回鉱夫(職子)取り立て |
1925年 (大正14年) | 東平・端出場各改善会発足 端出場手選鉱場の建設に着手 |
1926年 (大正15年) | 9月、選鉱操業の合理化のため東平の粉・粒の選鉱場 を新居浜に移転 |
1927年 (昭和2年) | 第2回鉱夫(職子)取り立て |
1929年 (昭和4年) | 住友鉄道が営業制になる |
1930年 (昭和5年) | 採鉱本部を東平から端出場に移転させる 東平選鉱場廃止 |
1934年 (昭和9年) | 9月21日、関西風水害発生 |
1935年 (昭和10年) | 東平から黒石までの索道が廃止となり5月、東平から端出場間の複式索道完成 探鉱通洞の開さく開始 索道完成(太平坑〜東平) |
1936年 (昭和11年) | 4月1日別子学園(東平小・中学校)公立に移管 |
1938年 (昭和13年) | かご電車(東平〜日浦通洞)導入 |
1946年 (昭和21年) | 別子銅山復興運動始まる |
1947年 (昭和22年) | 別子坑内大火災発生・鎮火まで1ヶ月・殉職3名 |
1948年 (昭和23年) | 別子坑復興(下部開発)に着手 |
1960年 (昭和35年) | 別子鉱山・大斜坑開さくに着手 |
1968年 (昭和43年) | 3月31日 東平坑休止 |
1973年 (昭和48年) | 3月31日 別子銅山休山 |