旧:昭和37年(1962)冬撮影 松浦勲氏提供 現:平成12年(2000)11月23日撮影 |
住友別子病院東平分院は当初東平出張所として明治38年(1905)11月1日に開設、昭和43年(1968)3月31日に廃止されました。そして、63年の間、東平の人々の命と健康を守り続けてきました。 明治開設当初、内科、外科の診療が行われました。 普通の病室の他に隔離病棟と避病舎も設置されており、法定伝染病の人たちの収容も行われました。 住友別子病院東平分院の沿革史が見えます。 |
左の写真中央右に見える白っぽい屋根の建物が、病院です。 病院の下には娯楽場が見えます。 明治42年(1909)6月に新築竣工した際には次のような状況でした。 所在地 新居郡角野村大字立川山654番地第三 敷地面積 本館及び病室・・・・・・・・・・267坪8合 避病舎・・・・・・・・・・・・・・・97坪9合 建物面積 本館及び病室・・・・・・・・・・167坪32合 避病舎・・・・・・・・・・・・・・・53坪4合2勺 病床数 普通病室・・・・・・・・・・12床 隔離病室・・・・・・・・・・・2床、避病舎・・・・・・・・・・・・・9床 診療科・・・・・・・・・内科、外科 職員 医師・・・・・・内科1名、外科1名、事務員1名、調剤士1名、看護婦1名 |
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遠景より病院を見る 昭和43年(1968) 原茂夫氏撮影 | |
昭和25年(1950)10月1日現在では、次のようでした。 病床数 普通病床・・・・・・・・・・12床 伝染病床・・・・・・・・・・・2床 避病舎・・・・・・・・・・・・・9床 診療科・・・・・・・・・内科、外科、歯科 職員・・・・・・・・・・・医師2名、歯科医1名、薬剤師1名 歯科技工士1名、看護婦7名、助産婦1名 事務員4名、雑役2名、その他2名 大変優秀な先生が多く、遠く県外からも診察に来る人がいたそうです。 |
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病院の全景 昭和30年代撮影 別子銅山記念館蔵 | |
左の写真は、当時では珍しいカラー写真です。 上東平から病院を見下ろしています。 病院の屋根は、ピンク色であったことが分かり、感動しました。 また、病院の屋根はスレート葺きとなっていました。 雨の音などの騒音を防ぐために、病人の方に配慮したものであったのだと思いました。 |
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上東平から病院を望む 昭和35年(1960) 別子銅山記念館蔵 |
明治38年(1905)11月1日開設当時の東平出張所平面図および隔離病室の平面図見ることができます。 | |
昭和9年(1934)当時の東平分院平面図を見ることができます。 | |
昭和9年(1934)当時の東平分院避病舎平面図を見ることができます。 避病舎は尾端集落上部山中に設置されていました。 しかし、避病舎は昭和14年(1939)3月20日に廃止されました。 |
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原茂夫さん 平成12年(2000)7月24日 本校にて収録 |
病院の先生の給料について (1分10秒) | 874KB |
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どのような先生がいましたか (0分45秒) | 560KB |
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どのような手術が可能でしたか (0分33秒) | 421KB |