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左の写真は、東平小学校の校章です。
構成は画面から左側の写真を見ていただけばおわかりになりますが住友グループの社章のイゲタのマークに「東」の文字を入れています。
向かって右側の校章は男子が帽子につけていたものです。左側は女子が襟に付けていた襟章です。
ところで、大正時代に作られた校章は、「東」の字が東平の頭文字の「T」となっていました。 |
東平小学校校章 昭和43年(1968) 原茂夫氏撮影 |
別子銅山で初めて小学校ができたのが、明治6年(1874)に旧別子の小足谷に小学校ができました。
学制が発布されたのが、明治5年(1873)ですから、日本で初めてといってもいいほどの早さで設立されています。
住友は教育がいかに大切かを考えていたのかがよく分かります。
東平小学校はその流れを引く学校です。
明治39年(1906)に設立された最初の児童数は20名、学級数は3でした。
その後、明治41年(1908)、私立東平尋常小学校と改称され、児童数も明治39年(1906)の7倍に当たる142名に増えました。
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旧:昭和43年(1968) 原茂夫氏撮影 現:平成12年(2000)11月25日撮影 |
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写真の上にマウスを置くと、現在の写真が見えます。
東平小学校は赤石山系のふところにあり、冬の寒さや雪によって冬休みが長く、夏休みは短くなっていました。
山の上と下とでこんな差があったなんて、本当に驚きです。
このことは現在の北海道や東北地方に似ていますね。
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東平小学校全景 昭和43年(1968) 原茂夫氏撮影 |
右の写真は、小学校の北西側です。
小学校の裏側となり、すぐ下方に自彊舎(じきょうしゃ)が見え、写真奥には尾端(おばな)社宅を見ることができます。
この写真から、山の斜面を開拓して少ない土地をうまく利用して生活する様子が伺えます。
また、住む所以外は自然のまま、緑が生い茂り、自然と共存していると感じます。
このようなすばらしい環境の中に学舎がありました。 |
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東平小学校北西側 昭和43年(1968) 原茂夫氏撮影 |