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昭和43年(1968) 原茂夫氏撮影 |
東平郵便局は、逓信省に請願して許可を得て特定郵便局(集配局)として明治41年(1908)に辷坂(すべりざか)地区に施工、翌年の明治42年(1909)に開設されました。 その後、大正6年(1917)に個人住宅を買収して翌年の大正7年(1918)に改造して階上21坪、階下18坪の2階建て局舎となりました。 なお、前の局舎は郵便局員の個人住宅になりました。 郵便局員は、「集配さん」と呼ばれ、配達の際に新居浜へ出す手紙を預かる役割もしていました。 開設当初の従業員の数は1人でしたが、閉坑する前は10人の従業員が働いていました。 東平閉坑までの61年間、新居浜と東平とのコミュニケーションの仲介人としての役割を担っていました。幾多の喜びや悲しみを運んだのでしょう。 郵便物の運搬には索道が利用されていました。郵便用の特別の搬器があり、ふたが付いて施錠できるようになっていました。 ところが、休日は索道勤務の運搬夫が行嚢(こうのう)を背負って徒歩で端出場(はでば)駅まで持っていきました。そして、新居浜からの郵便物を持ち帰りました。このように集配業務は一日も休むことなく行われていました。 郵便ポストは、各集落にありました。 東平は坂道だらけでしたので、徒歩での配達でした。冬場はとても大変だったと思います。ところで、別子山村には自転車が一台ありました。 しかし、その郵便局も昭和43年(1968年)の東平坑閉坑と運命をともにしました。 |
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東平郵便局の1階平面図を見ることができます。 |
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東平郵便局の2階平面図を見ることができます。 | |
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![]() 明治41年(1908)3月現在 上の絵をマウスでクリックすると、拡大されます。 |
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周辺地図・平面図・配達区域図はいずれも別子銅山記念館蔵 |
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