東平娯楽場 写真の上にマウスをおくと現在の様子が見えます
現在の東平娯楽場跡
旧:昭和43年(1968) 原茂夫氏撮影  現:平成12年(2000)11月25日撮影

 東平娯楽場明治45年(1912)に建設され、東平坑が閉坑される昭和43年(1968)までの57年間東平の人々の憩いの場として親しまれました。
 収容人数は
2000人といわれ、定期的に映画が上演されていました。その際には、東平の人々がここへ集まり、社宅が空っぽになるくらい人気がありました。
 東平では、
住民自ら劇団や楽団を結成して、お祭りの際にはご披露していました。
 撤去後は植林がなされ、現在は手前の橋が残されているだけです。
 かつてのにぎわいが夢のようです。

東平全景から娯楽場を望む  大きな三角屋根の東平娯楽場が写真の中央に見えます。
 東平のほぼ中央に位置しているのが分かります。また、人々にとっても中心の場所です。
 屋根にあるイゲタの社章がトレードマークですのですぐ見つけられますね。

 開設当時2階建ての建物でした。
 それが、太平洋戦争中昭和18年(1933)朝鮮人労働者が増え、その収容のために3階建に改築されました。
 朝鮮人の労働者は、日本人と同じ社宅でも生活していました。
東平全景から娯楽場を望む 昭和43年(1968) 原茂夫氏撮影 
 娯楽場の敷地面積300坪程度で一反(990平方メートル位)です。
 1階には観客席舞台があり、廻り舞台装置まで設置されていました。そして、花道もありました。
 2階には観覧席映写室が設置されていました。
 3階にはビリヤード台も置かれていました。ビリアード場などは暮れ正月をのぞいて年中利用されていたと思われます。
 入場料は無料でした。
 会社の給料日には、新居浜から行商の人たちが上がってきて、日用品などを販売する場所としても利用されていました。
娯楽場を上から望む
娯楽場を上から望む 昭和30年代撮影 別子銅山記念館蔵 
かつて桜が満開であった娯楽場跡  左写真は娯楽場前にあった桜の木です。
 見事な花を付けています。
 しかし、現在は杉の林の中にだれも見ることもなく寂しくたたずんでいます。
 幹の太さがかなり大きくなっていて年月の流れを感じさせます。

左の写真の上にマウスをおくと、現在の様子が見れます
     左の写真の上にマウスを置くと、現在の様子が見れます。
桜が満開 旧:昭和30年代撮影 別子銅山記念館蔵  現:平成12年(2000)11月25日 

東平娯楽場建築設計図 
東平娯楽場建築設計図  作成年は不詳ですが、2階建ての図面であることから、3階に改築された昭和18年(1933)以前のもので、初めに設計された明治45年(1912)頃に作成されたと考えられます。

            別子銅山記念館蔵

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別子ニュースを見る 東平のフォークダンス乾先生を迎えて
昭和35年10月10日発行 別子ニュースより


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加重忠利さん 
 平成12年(2000)11月29日 本校にて収録 
 平面図にあるように、
 建設当初2階建てであった娯楽場が、
 3階建てになった背景について
  (0分59秒) 
ビデオの再生 
733KB
 娯楽場にはどのような設備がありましたか
                  
(2分53秒)
ビデオの再生
2130KB
  どのような催し物がありましたか  (1分47秒) ビデオの再生
1309KB
石川登貴代さん 
 平成12年(2000)11月16日
 観光ボランティアガイド養成講座(新居浜市文化センター)にて収録 
 毎月の給料日に、
 新居浜から行商が上がってきて、
 娯楽場で販売していたこと
  (0分44秒) 
ビデオの再生 
547KB


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