一本松社宅全景 大正後期に撮影? 別子銅山記念館蔵
一本松社宅
の名前の由来は、集落の上部北側に
大きな松が一本
生えていたところから、一本松と呼ばれるようになりました。
第三通洞の上
に位置していました。
一本松には、社宅が
186戸
あり
浴場が2つ
ありました。
昭和3年(1928)
に取り壊されました。
取材でご協力していただいた
加重忠利(別子銅山記念館3代目館長)さん
がここのご出身だったそうです。
一本松社宅跡
昭和初期に撮影 別子銅山記念館蔵