第三社宅


第三社宅跡
 第三社宅の跡  平成12年(2000)4月29日撮影 


第三者宅の跡  第三社宅の名前の由来は、第三通洞の第三(三番目に掘った通洞)からです。
 第三社宅は、大正10年11月9日現在で、9戸の社宅がありました。
 その後、昭和42年(1967)18戸あった社宅をすべて撤去しました。
 現在は、第三変電所の下は広場になっていて、遊具なども設置されています。
 左の写真喜三谷(きそうだに)から第三へ向かう道の途中にある、さらに古い時代の社宅の入口跡と思われる石垣が残っています。
 昭和34年(1959)6月現在の社宅配置図には記入されていませんがここも、第三社宅であったと思われます。
第三社宅の跡      平成12年11月25日撮影


第三社宅配置図 第三社宅配置図が拡大されます。
昭和34年6月現在
別子銅山記念館蔵


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