大山積神社 写真の上にマウスをおくと現在の様子が見えます


現在の大山積神社跡
旧:大正10年(1921)撮影 別子銅山記念館蔵  現:平成12年(2000)11月25日撮影

 大山積神社は、別子銅山の鎮護の神として祭られている大山積神社がありました。
 この大山積神社は
元禄4年(1691)別子銅山開坑直後、鎮護の神として大三島(現在愛媛県越智郡大三島町)大山祇神社より勧請し、当初は別子山村足谷の山方、緑起の端(えんぎのはな)に建設されました。
 後の
明治26年(1893)に別子山村足谷の目出度町(めったまち)奉遷(ほうせん)され、大正4年(1915)に、この東平の一の森に奉遷(ほうせん)されました。
 そして、東平の中央にて、そこに生きる人々を見守り続けていました。
 さらに
昭和3年(1928)に新居浜の川口新田へ奉遷されました。
 しかし、建物はそのまま東平坑閉坑の昭和43年(1968)までの53年間祭られ、東平の人々の心のよりどころとしてうやまわれました。 

現在の大山積神社  元旦には、東平のほとんど全ての人々が雪の山道を上がり、初詣に訪れ、多くの人たちでにぎわっていました。
 大山積神社には土俵もあり、相撲が盛んに行われていました。
 また、大山積神社のことを、「お山の神様」という意味で「山神さん」(さんじん)と呼んでいました。
 東平の大山積神社の神官は土居町津根にある村山神社の宮司さんが専属にされ、お正月、山神祭、毎月の月並祭に奉仕していました。
 ところで、大山積神社の大祭である「山神祭」は毎年5月1〜3日の3日間行われ、大変なにぎわいでした。この日は「お山の祭り」として大相撲の奉納を始め、様々な催し物が行われます。 
写真の上にマウスを置くと現在の様子が見えます。
旧:昭和43年(1968) 原茂夫氏撮影   現:平成12年11月25日撮影
 この灯籠は、一の森に神社創建の際、旧別子の東延(とうえん)にあった神社から移設されたものです。
 また、手洗い1基狛犬1対も同時に運搬設置されました。
 この灯籠の年数を見ると、明治35年(1902)5月1日とあります。

 今、一の森はグランドの面影すら見られないようになっています。
 また神社があった場所もまたその基礎を残すばかりになっています。
 この事から自然の強さを実感しました。
 しかし、東平の人々にとってここはかけがえのない場所でした。
 そう感じたとき、少し寂しささえも感じます。
大山積神社 灯籠
灯  籠        平成12年(2000)11月25日撮影
補足説明
 東平の大山積神社大正4年(1915)7月一の森の中央に東向きで建設されました。
 しかし、大正11年(1922)に住友予州親友会東平部会の陸上競技大会が開催され、回を重ねるにつれ神社の位置が競技に支障を来すため、大正14年(1925)に約3メートル下った入口南側に北向きで移設されました。
 翌年の大正15年(1926)に川口新田(かわぐちしんでん)グランドに統一され、選手制度の競技から一般の運動会に切り替えられ、運動場拡張の必要性に迫られ神社レベルまで従業員の作務によって掘り下げ、新居浜方面を見下せる北側に移設完了したのは昭和15年(1940)4月30日でした。
 従って、昭和10年は鳥居とともに入口にありました。
 神社は東平坑休止後、昭和44年(1969)に氏子有志により解体処分されました。
別子ニュースを見る 東平の山神祭
昭和35年5月10日発行 別子ニュースより

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原茂夫さん 平成12年(2000)7月24日 本校にて収録   一の森と大山積神社について  (1分32秒)  ビデオの再生
1153KB
 相撲が盛んだった理由は  (1分26秒) ビデオの再生
1060KB
平成12年(2000)11月25日収録   かつてにぎわいを見せた
 大山積神社の現在の様子をご覧下さい
              
(0分27秒) 

ビデオの再生
408KB


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