ここでは、インタビューをお受け頂いたり、現地取材でご同行いただいた方々のご紹介をさせていただきます。 ここで紹介する全ての方が、実際に別子銅山、東平の時代を体験された方々ばかりです。 ご協力くださった全ての方々に敬意を表する意味でこのページを作成させていただきました。 (尚、個人の詳細なプロフィールはプライバシー保護のため省かせていただきます。) |
尚、ご紹介順は五十音順とさせていただきました。
石川 登貴代さん 観光ボランティアガイドでご活躍されています。 東平のご出身で、東平中学校で事務をされていました。 観光ボランティアガイドの学習講座では、東平の生活についての講話をして下さり、東平について学習している私たちにとって、とても役に立つ話ばかりでした。 本校での学習会では、ご自宅の資料の中から貴重なものを私たちに見せて下さいました。 中学校校歌の復元も石川さんのご協力によるものです。 |
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井上 義一さん 別子山村にお住まいです。 別子山村の教育長を務められたこともあり、別子山村から見た東平について様々な質問にお答え下さいました。 現在92歳という高齢にもかかわらず、とても元気にお話をして下さいました。 教育長をお務めの後、別子山村の公民館長もお務めになっていました。 戦争前、戦後の銅山を知る数少ない方でもあり、その貴重なお話はページの中にも大きく反映されています。 |
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井上 省二さん 別子銅山記念館前館長。 今は、観光ボランティアガイドに参加する傍ら、私たちの高校へボランティアで別子銅山についての勉強会を月一回開き、ご自身の体験談に基づいた話をして下さいました。 マイントピア別子、東平の現地取材まで精力的にご同行をいただき、私たちの活動を支えて下さいました。 そして、私たちに様々な情報を常に教えていただき、活動の方向付けもしていただきました。 今回、ホームページを作成していく過程で、上で最もご協力を戴いた方です。 人との繋がりと活動の輪を広げて下さったのも、井上さんでした。 このホームページの基盤を作った方と申し上げても過言ではありません。 |
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上垣 起一さん 現別子銅山記念館館長。 多くの資料を提供していただきました。 写真に始まり地図や図面まで。 館長さんのご厚意で全面的なバックアップをいただいたことにより、沢山の資料が集まりました。 資料の撮影にも、様々なアドバイスをいただき、見やすいホームページ作りに役立てることができました。 なんと、今まで何処にも公開されたたことのない貴重な資料までホームページに掲載することができました。 特に、東平については資料が少ない中でしたので、相当なお時間をいただきました。 別子銅山の東平については日本一のホームページだと自負できるものとなりました。 |
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加重 忠利さん 別子銅山記念館3代目館長。 井上省二さんのご紹介により、学校にお越しいただき、お話を聞かせていただきました。 加重さんは東平の一本松という集落に生まれ東平で育ちました。 当時の東平をなかなか掴みきれない私たちにとって、加重さんや井上さんは本当に「生き字引」の様な存在です。 加重さんは、体調を崩されている中、無理をしてお越しいただいたにもかかわらず、「こういった活動をされていることが嬉しい」と応援のお言葉も戴きました。 加重さんをはじめ、応援して下さって全ての方々にお答えできるよう、決意を新たにした瞬間でした。 |
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近藤 弘男さん 観光ボランティアガイド部会長 別子銅山で井上省二さんとともに坑洞の中に入り、お仕事をしていた方です。 坑内での仕事を体験された方は少なく、たいへん貴重なお話をお聞きすることができました。 実は近藤さんは、前作の「あかがねの里 別子銅山」内で注目を浴びた「ダイヤモンド水」を掘り当てた方だと言うことを知り、とても驚いたことを覚えています。 学校での学習会にいらして下さった際の坑内の体験話は、もう坑内を知ることの出来ない私たちにとって、貴重なお話でした。 また、近藤さんは地域の様々な活動で中心的な役割を担われていらっしゃいます。 本校周辺の角野地区の前公民館館長もお務めされていました。 |
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谷屋 峯凱さん 新居浜の銅山のふもと、本校周辺の角野地区の公民館長さんです。 東平の次に銅山の本拠となった端出場、立川のご出身です。 何かに役に立てるならばと松浦さんとともに、東平取材に同行して いただきました。 角野公民館では、学習会を開いてくださり、施設の説明や写真の撮られた場所や年代など、事細かく教えて下さいました。 |
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原 茂夫さん 現在、観光ボランティアガイドをなさっています。 東平の尾端ご出身です。 東平小学校の事務を されていました。 幼い頃からの体験談や苦労話をお聞きする中で、たいへん的確に簡潔にまとめられたお話によって、東平の生活像を具体化する事ができました。 また、小・中学校の最後の卒業式(閉校式)の録音テープの復元をされ、今回私たちの学習のためにと小学校校歌の楽譜もあわせてご提供下さいました。 復元の際には当時のテープを再現する機械が無く、 非常にご苦労されたそうです。 そして、東平坑の閉坑当時の貴重なお写真も数多くご提供いただき、ホームページの内容をより深めることもできました。 |
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日和佐 初太郎さん 5歳の頃カメラを持ち写真が趣味だったと言う日和佐さん。 別子山村・東平・鹿森・新居浜・四坂島 に住む人々のありのままを写した写真集、 「別子あのころ 山 濱 島」との出会いが、私たちと日和佐さんとの出逢いでした。 残念ながら、お亡くなりになられているのですが、日和佐さんの写真と出逢ったことで、生き生きとした別子の世界を見ることができました。 今も、このお写真の向こうで日和佐さんは別子銅山、新居浜の人々、そして私たちを見つめて下さっていると思います。 その思いを、ホームページを御覧になられる方にお伝えできるように頑張りました。 日和佐さんのお写真が、私たちの学習のエネルギーになりました。 |
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松浦 勲さん 松浦さんは、ご家族の方が東平に住んでおられたため、幼少の頃、よく東平に行かれたということです。 谷屋さんとともに東平の現地までご同行いただきました。 そして、多くの資料を手に、施設の場所、機能などを丁寧に教えて下さいました。 東平を全く知らなかった私たちに、東平のすばらしさを教えていただきました。 また、学習会では、東平にあった設備「索道」の貴重な図面を見せていただいたり、松浦さんご自身が以前からお撮りになってきた現地の貴重なお写真もご提供いただきました。 ホームページにも数多くのお写真を掲載させていただき、内容の充実を図ることができました。 |
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松山 明子さん 日和佐初太郎さんを父に持ち、数々ある写真を大切に保管されてありました。 お写真の中には、新居浜の原風景が写し込まれています。 日和佐初太郎さんの別子に対する想いを涙ながらに語っていただき、私たちも大変感動しました。そして、作品作りへの思いを新たにしました。 松山さんも現在、観光ボランティアガイドの講座に参加されています。 また、地域のボランティア活動にも積極的に取り組まれていらっしゃいます。 学校にも何度もお越しいただき、お宅にもお邪魔させていただきました。 私たちの学習の大切な機会であり、地域の方との交流の場ともなってる、観光ボランティアガイドの研修会のお話も松山さんにお聞きしたことが始まりでした。 そして、ガイド講座でお会いする度に温かいお言葉をかけていただき、活動の元気の素とさせていただきました。 |