感謝の心 



東平取材を通して学んだこと
 私は、身近にある東平という地域についてほとんど知りませんでした。
 いつも近くに感じていた別子銅山でしたが、知らないことばかりで発見の連続でした。
 本や資料などだけではなく、実際に山に何度も登り、自分の足で歩いて生活の跡や建物の痕跡などをたどり、当時の様子を考えてみたりしました。
 また、お忙しい中、当時東平にいらした人に同行していただきお話を聞きながらの現地取材は、また違うものが発見できました。
 山は、緑に囲まれて別世界にいるようで、山から眺める眼下の景色は、とても澄んでいて綺麗でした。
 取材だけではなく、学習会や講演などに参加して銅山の歴史や人物など今まで知らなかったことを多く吸収できました。
 地域の人々との交流で違う視点から銅山を見れるようになりました。
 身近にある巨大な産業遺産、別子銅山について改めて学ぶことが出来、とても良い経験になりました。
 私はこの1年間ホームページの制作を通じて多くの方にお逢いし、たくさんのお話を聞くことが出来てとてもよかった思います。

黒田 美樹
3D空間再現

 私の祖父は、別子銅山で働き、幼い時から話を聞き、興味があったので、ホームページ作成に加わりました。 
 私は、3Dで東平の建物を再現するのを担当しました。
 3D空間を作成する前に、図面の単位を尺で書かれた数字をメートルに変換することからはじめました。
 その後、上面図、側面図、正面図の位置から窓や押入等の段差を確認して立体のイメージをつかんでいきました。
 そして、3D空間作成用ソフトを使って、図面を見ながら再現を始めました。
 3D空間作成用ソフトは、自分で使い方を覚えてから作り始めました。
 もとの建物に近い再現をするため、いろいろな工夫をしたり、何回もやり直しました。
 コンピュータの中の空間で再現するため、現実の空間では見えない角度から見ることができます。
 そこで、社宅の屋根の半分を除き、上側からでも見えるように工夫しました。
 思ったように再現できなかった所や、インターネットで表示が出来なかったなどがありましたので、今後更に研究していこうと思います。 
 インターネットという新しい技術を活用して、新世紀の郷土資料をつくって行こうと思います。
伊藤 和博
  私の住んでいる町には・・・
 この1年余りに渡ってホームページ制作に取り組んだ中で、沢山のことを感じました。
 以前は、自分が住んでいる町のことなど興味が無く、町の将来のことすらどうでもよいと思っていました。
 ところが、学習活動や自分の足での取材を積み重ねていくうちに、偉大な歴史に圧倒されるばかりで、今ではこの町をとても好きで、誇りに思います。
 それもこれも、この勉強ができる環境であった学校と、協力をしていただいた数えきれない人々と・・・その想い。
 様々なことが重なり合い、素晴らしい勉強ができ、こうして作品まで出来上がりました。
 今まで関わってくださりました方々にはここでお礼を申し上げます。
 そして、これからも私たちの町、新居浜の歴史を語ってくださればと思っています。
 そのお話を今度は私たちが引き継いでいきたいです。
小松 洋子 
東平という地を学習して
 私たちは、今年1年間東平のホームページ作成に関わったことで多くの人々との交流ができました。
また、別子銅山の歴史のことについて、たくさんの方達からホームページ作成の軸となる情報をいただいたり、実際に取材に同行していただいたりしました。
 また、お忙しい中を来校していただき、学習会を開いて資料をたくさん提供していただきました。
 さらには、市主催の全国フォーラムの場で発表の中でたくさんの方々との交流の輪が広がっていきました。
 その交流によって、資料が少なく苦労している時には、親しくなった方々に何度も助けていただきました。
 このホームページ制作に取り組んでいる最中、いつも心の根底にあったこと・・・それは、「今回のホームページが完成できたのは、私たちだけの力ではなく、多くの方たちとの交流によって成り立っている」ということでした。
 このページには私たちの心を伝えたいと言うだけでなく、今回お世話になった方達の思いも一緒にして一本の鎖につないでいます。
 ページをご覧になって別子銅山休山までの人々の暮らしやそこに暮らしていていた人たちの思いを感じ取っていただけると思います。
竹内 教朗 
写真の中の東平
 東平の現地取材に行った時、その自然の豊かさに感動するとともに、本当にこんな山奥に人が暮らしていたのかと驚きました。
 私はHPのグラフィックや動画の制作を担当していて参考にするため、よく東平の当時の写真を見ました。
 写真の中の東平はとても豊かな町に見え、今の覆い茂った雑木林からは想像できません。
 「こんな場所で住んでいて人々は幸せだったのでしょうか? つらいことはなかったのでしょうか?」そのようなことを思いながら制作に携わってきました。
 でも、写真の中の東平にいる人々や子供達の笑顔はとても幸せそうでした。
 昔、東平に住んでいた方々も、つらいこともあったけど、楽しいこともあったとおっしゃって言っていましました。
 今、もうそこには産業遺産と社宅の廃墟しか残っていません。
 しかし、そこには確かに人々の幸せや生き甲斐があったのです。
 そんな事実を自分たちにできるやり方で残していこうと思います。 
光山 和樹
東平世界
 今はもうない施設・設備・機構・生活。
 それらを実際に見たこともない私たちにとってはすべて手探りの作業で、特に復元は大変でした。
 建物の3Dや音楽など、そして何より、当時そこに住んでいた人達の「東平」のイメージを崩さず「再現」すると言うことはとても難しく、また、大切なことの様に思えました。
 そのために、東平に住んでいた方や東平で働いていた方々に勉強会という形で話を聞き、質問をしました。
 それをふまえ、幾度と無く現地に赴きました。
 そこにあったであろう当時の東平世界は、訪れるたび、垣間見るたびに前の現地取材の時とはまた違う広がりを見せてくれました。
 四季に渡る取材の中、春には桜、夏には若葉、秋には紅葉。
 その時その時に、喜怒哀楽のような「感情」を見せてくれたような気がしました。
 いつの時代も全ての人にその感情を惜しむことなく見せていたのでしょう。
 私たちの活動の中で得た銅山(やま)の感情が、僕たちの世代が持っている「モノクロの昔」に少しでも色を加え、身近なものとしてとらえられる絵の具のようになればいいなと思います。
中野 雅一

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