別子銅山記念館館長・上垣起一さんの講演会取材
演題:《別子銅山最後の挑戦》
〜今もねむる別子の鉱脈〜
場所:高齢者いきがい創造学園
取材日:2000年3月19日
今回私たちは別子銅山記念館館長さんの講演を聞くために高齢者いきがい創造学園を訪れました。
高齢者いきがい創造学園入り口 | 別子銅山記念館館長 上垣起一先生 | 講演題目 |
講演会には約150名を越える多くの方々が参加されました。
また同時に、別子銅山に関心を持っている方が多いこともにも感心しました。
講演が始まる前に、カセットテープ・ビデオカメラ・カメラの準備をしていると、多くの方からお声をかけていただき、訪れている方との交流もすることができました。
講演の内容は「別子鉱床群の名称・別子周辺の地質、鉱床・別子銅山坑内構造・地熱、地圧への挑戦」等でした。
私が特に興味を持ったのは、「地熱への挑戦」でした。第四通洞〜新立抗間の岩盤温度上昇率は深さ50メートルにつき1度の気温上昇、新立抗〜大斜抗間は35メートルにつき1度の上昇で、海抜マイナス955メートルの岩盤温度は57度もあったそうです。その温度を下げるためにさまざまな工夫で、坑内冷房装置を付けていたようです。
講演では、この坑内冷房装置についての資料を初めて公開されました。
多くの方が熱心にお聞きになっていました | 坑内冷房装置についての説明の様子 |
また、閉山した理由のお話しでは、最大の問題であった、地圧のために岩石が坑道に飛び出す、「山はね」の対策が出来なかったということでした。
そして、山はねの写真も初めて見せていただきました。
山はね現象で破壊された坑道 |
いつ発生するかも分からない状況での発掘は、とても危険であったために、まだまだ銅の鉱脈が存在していたにもかかわらず、休山したとのことです。
「鉱山300年の歴史より、人ひとりの命を大事にしたということ」と聞いたとき、住友という会社はとてもすごいと思いました。
いろいろな問題があり、それを解決していくためにさまざまな工夫をし、その繰り返しで立派になっていった別子銅山が、とても誇らしく思えました。
小松 洋子