別子山村の取材活動

取材日時 2000年7月22日 9:00〜17:30

取材場所 宇摩郡別子山村弟地(おとじ)〜筏津(いかだづ)〜保土野(ほどの)〜天皇(てんのう)〜瓜生野(うりうの)

現在別子銅山の坑道で唯一中に
入ることのできる筏津坑(20メートル程度)

 筏津坑の中にはかご電車が保管されています

 昨日は近藤日出男さんに紹介していただいた方々にお会いし、早く当時のお話をお聞きしたいと思いました。

そこで、さっそく今日、別子山村に取材に向かいました。

しかし、初めての場所で様子がよく分からず迷ってしまい、駐在所に駆け込みました。

そこでお世話になったのが別子山村の駐在所で勤務されている高木治雄さん(写真の方)でした。

今回はいろんな面でお世話になった高木治雄さん

 そして、高木さんのご厚意でパトカーで先導していただいて取材場所へ向かうことができました。

 初め友子制度(坑夫の免許状)を現在唯一持っておられる方のお宅へお伺いさせていただきましたがお留守でお会いすることができませんでした。(アポイントを取っていなかったことが反省です。)

 その後、別子山村にこの4月に開設された「ゆらぎの森」に案内していただきました。

 まず一番驚いたのが大きなドームです。藤棚がありゴールデンウィーク頃には満開になるそうです。(後3年程するとドーム全てを藤の花が覆い日本一、世界一の藤になるそうです。) 

  ゴールデンウィークになると藤の花できれいなドーム
 写真左の施設は食堂や宿泊施設です

 また宿泊施設食堂の他に木工工作陶芸が体験できる「作楽工房(さくらこうぼう)(意味:作る楽しみを学ぶ)」いう施設もありました。

 そしてその施設を見学させていただきました。 

自然の中にうまくマッチしている作楽工房 作楽工房の中の様子
 押し花の葉書、焼き物などを制作できます 作品を焼く前に乾燥させています 
斉藤真美さんにお話をお聞きしました  七輪を利用して1日で焼き上げます

 昼食はこのゆらぎの森の食堂で食べました。
 食堂のウェートレスさんには別子山村に住んでおられて別子銅山に詳しい方を教えていただいたり電話帳を貸していただいたりしました。そこで食べたのはカレーでしたがとてもおいしかったです。

このゆらぎの森は今後様々な施設もできるので一度家族といってみたいと思いました。

岩水をおいしそうに飲む様子

当時の社宅が唯一残っています

 ゆらぎの森の帰り、高木さんにおいしい水の出るところを教えていただきました。その水は旧別子にあるダイヤモンド水に劣らぬほどのおいしさでした。

 その後、ひとまず高木さんとお別れし筏津山荘に取材に行きました。

 ここには当時利用されていた社宅が残れています別子銅山関係の社宅で残されているのはここ1件だけです。現在改修をして住んでおられる方にお願いして、快く取材に応じていただきました。
 さらに、昔のことに詳しい方も教えていただきました。

 社宅の屋根にはとたん板を使っているのですが、雪を落としやすくするためだということを知りました。

 そして当時、この社宅に住んでいたのは病院の先生だったそうです。

 最後に弟地に戻り、再び高木さんにご案内していただき、井上義一さん(明治42年1909年生まれ〜現在91歳)という方のお宅を訪れました。

 この方は昭和34年から昭和64年まで村役場にお勤めになり、公民館長まで歴任された方です。

 また、村の歴史書である「別子山村の村史」の出版に深く関わられた方でもありました。

別子山村の歴史について語る井上義一さん

この中に別子山村の歴史が満載されている

  井上さんは当時の、各社宅に住んでいた人の数や昭和34年からの人口の推移について語ってくださいました。(すらすらと人数を覚えてらっしゃるので大変驚きました)

 また、かご電車のことについても教えていただきました。

 かご電車は11両ぐらいを連結して走っていたということを知りました。

 学校のことについても話をしていただきました。

 別子山村にも学校はありましたが、南光院から東は別子小学校に通い、そこから西は東平小学校に通っていたと知りました。

 そして、取材を終えて失礼する際、井上さんが趣味でお作りになった石(全部で26万個も作られたそうです。)(数を覚えているのもすごい)に絵を描いた物をおみやげとしていただきました。

 その石には、姫だるまを描き「和」の文字をあしらわれたものでした。いつまでも大切に飾っておきたいと思います。

井上さんが作られた石の数々

非常に細かい作業です

 ところで、今回お世話になった高木さんとお別れする際に、以前に私の住んでいる地域の駐在所員として働かれていたということを知りました。

 全くのアポイントもとらず、行き当たりばったりで取材に出かけた私たちでしたが、高木さんのご厚意で、大きな成果を修めることができました。本当にありがとうございました。

最後に高木さんと記念写真を撮りました

 今回、出会ってお世話になった方々への感謝の気持ちを込めて、さらに心を引き締め、よい作品ができるように頑張っていきたいと思います。

竹内 教朗

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