マインからマインドへ トップページへ戻る 東平取材

場 所 新居浜市 東平地区
取材日 2004年(平成16年)4月1日
時 間 9:00〜17:00

 東平ご出身の石川 登貴代さんにご案内いただきながら東平街道(落シから東平までの登山道)を歩いて取材を行いました。

 この日の取材は桜が沢山咲き、お天気もよく絶好の取材日よりでした。


ここ(落シ)から私たちはスタートしました。 ここ(落シ)から私たちはスタートしました。
ここ(落シ)から私たちはスタートしました。

 こから登りはじめました。

 遠くに見える桜がとてもきれいでした。


落シ橋(遠登志とも表記されてます) 落シ橋(遠登志とも表記されてます)
落シ橋(遠登志とも表記されてます)
長さ50メートル、幅2メートル、高さ約23メートル(新架設の橋)
旧落シ橋のアーチ部分は日本最古級の鋼鉄製アーチ橋です。

落シから出発して約5分程で落登志橋が見えてきます。

何本あるのかな?? 当時の電柱と現在の電柱
何本あるのかな?? 当時の電柱と現在の電柱

 ほとんどの電柱は事故防止のために為に倒されていました。昔の電柱は数少ないと思われています。

 しかし、数本は昔のまま立っているのもあり、その電柱のプレートが当時を物語ってくれています。



ここは?? ここは??
ここは??

 ここは大休み(おおやすみ)と言われる休憩所です。

 山を登っていくと疲れるので、当時ここには商店があり、みなさんはここで一休みしていました。

 当時の物だと思われるビンも落ちていて、貴重でした!!

レンガで造られた東平〜端出場間の索道中継所
レンガで造られた東平〜端出場間の索道中継所

木が生い茂っていましたが、幸い春先でしたので、中に入ることができました。


大きくそびえ立つ建物 この穴は一体??10メートル以上の深さがありそうです。
大きくそびえ立つ建物 この穴は一体??10メートル以上の深さがありそうです。

<注>ここに立ち入る際は充分ご注意下さい!!!!!!


坑水処理システム
坑水処理システム

 この坑水路は明治38年(1905)に第三通洞から東平〜端出場を経て新居浜まで延びていました。

 当時としては画期的な坑水処理システムだったのでしょう。

かまどの跡
かまどの跡

 昔社宅だった所のかまどの跡です。

 ここで作るご飯はさぞかし美味しかったことでしょうね。


東平歴史資料館
東平歴史資料館

 山の町として栄えた最盛期の東平の生活文化をジオラマや写真・映像で紹介しているほか、銅に係わる様々な製品や鉱石赤石山系の自然も紹介展示しています。


第三変電所
第三変電所

 ここは第三変電所です。

 中へ入ると2階建ての造りになっており、当時の缶のような物も落ちており、珍しい物がたくさんありました。

第三通洞
第三通洞

 第三通洞です。

 このトンネルをぬけると、別子山側の日浦になります。

 当時はかご電車や人車、鉱石を積んだトロッコが行き交っていたのでしょう。

火薬庫
火薬庫

 ダイナマイトの爆発でほかに危害を受けないように横堀になっており、爆風をくいとめる造りになっています。

 現在下には水がいっぱい溜まって中に入ることは難しくなっていました。


小マンプ
小マンプ

 東平〜別子山(日浦)間の鉄道用トンネルです。

 この度、第三通洞の工事により、中からそのままの形で見つかった。

 かご電車や索道の搬器などが展示されました。

 新しく塗装されピカピカです。

 かご電車は本来の場所へ落ち着くことが出来ました。


プール跡の様子 展望台から眺めた景色です。
プール跡の様子 展望台から眺めた景色です。

 左の写真は東平小学校のプール跡でした。

 当時、プールは冬は凍っていたそうです。

 今は展望台になっています。

 天気のよい日は、展望台から新居浜が一望出来ます。


石川 登貴代さんが説明されています。
石川 登貴代さんが説明されています。

感想

 石川 登貴代さんとご一緒に山へ登ることによって、たくさんの事を教えていただけたのでとても貴重な体験となり、取材してよかったなと思いました。

 昔と今を比べることで、疑問に思う所などたくさんありました。

 その中でも、当時のお話をお聞きすることでなるほど!!と理解する事が出来ました。

 お忙しい中、私たちのためにご案内ありがとうございました!!

片山千種


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