ルイ・ラロックが関係した別子銅山の近代化産業遺産 ルイ・ラロック アイコン

ルイ・ラロック 天保7年〜明治16年(1836〜1883) ルイ・ラロックの写真 住友史料館所蔵
ルイ・ラロック
住友史料館所蔵
 フランス人鉱山技師。
 パリ鉱山学校を卒業後、大学で化学教授を務める。
 明治7年、広瀬宰平によって住友に招かれた。
 明治8年、別子銅山の近代化計画である「別子銅山目論見書(もくろみしょ)」を作成した。
 そのときの、ルイ・ラロックの月給は、広瀬宰平の6倍にあたる600円という高い給料だった。
 
 
アイコンをクリックするとページへジャンプします。アイコンをクリックするとページへジャンプします。
まいん アイコン 近代化産業遺産 キャッチコピー
3まいん 小足谷接待館跡 採鉱課長宅跡 アイコン こあしたにせったいかんあと
小足谷接待館跡
 さいこうかちょうたくあと
採鉱課長宅跡
緑に映(は)える 赤いレンガの壁
10まいん 東延 アイコン とうえん
東延
別子銅山近代化の象徴 東延時代(とうえんじだい)
15まいん 牛車道 アイコン ぎゅうしゃみち
牛車道
近江牛(おうみぎゅう) 運搬近代化の先駆けへ