しお の もん の すけ 塩野門之助が関係した別子銅山の近代化産業遺産 |
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塩野門之助 嘉永6年〜昭和8年(1853〜1933) | ![]() 塩野門之助 住友史料館所蔵 |
島根県松江市出身。 明治3年(1870)18歳のときに、藩の学校修道館において「語学修行」をおこない、その年松江藩が招いたフランス人ワレットとアレキサンドレから語学を学んだ。 その後、外務省へ務めたが、明治7年(1874)別子銅山に雇われたフランス人、ラロックの通訳として住友に入社した。 その際にラロックが作成した近代化計画である「別子銅山目論見書(もくろみしょ)」を翻訳(ほんやく)した。ところが、製錬技術の翻訳ができず、広瀬宰平に申し出てフランスに留学した。 帰国後、惣開(そうびらき)製錬所の設計をした。 途中別子銅山を辞め、明治20年(1887)に足尾銅山へ勤務し、我が国初の、転炉(てんろ)を開発した。 明治28年(1895)に伊庭貞剛により再び住友へ招かれ、四阪島(しさかじま)製錬所の設計・建設に従事(じゅうじ)した。 |
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まいん | アイコン | 近代化産業遺産 | キャッチコピー |
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とうえん 東延 |
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しさかじまだいえんとつ 四阪島大煙突 |
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ひぐらしべってい 日暮別邸 |
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