西暦 | 年号 | 経歴 | |
引退後の伊庭貞剛 住友史料館所蔵 |
1847年 | 弘化4年 | 近江国野洲郡八夫村(現在滋賀県野洲郡中主町八夫)に生まれる |
1869年 | 明治2年 | 刑法官少監察に任官 | |
弾正台京都支部巡察属に任命される | |||
1870年 | 明治3年 | 弾正台東京本部巡察属へ転任 | |
1871年 | 明治4年 | 権台巡察となり弾正台長崎出張所へ | |
8月 司法省司法少解部に任命され東京へ | |||
10月 司法省司法大解部に昇進 | |||
1872年 | 明治5年 | 司法省司法検事に任命される | |
1873年 | 明治6年 | 函館裁判所検事へ転任 | |
1874年 | 明治7年 | 函館裁判所権中検事、権少判事へ昇進 | |
1875年 | 明治8年 | 函館裁判所副判事、七等判事へ昇進 | |
1876年 | 明治9年 | 大阪裁判所へ転任 | |
1877年 | 明治10年 | 大阪上等裁判所判事に任命される | |
1878年 | 明治11年 | 辞表提出 | |
1879年 | 明治12年 | 1月 依頼免官の辞令 | |
2月 住友家入社重任局詰(二等) | |||
5月 住友大阪本店支配人(一等)に任命される | |||
10月 別子銅山視察 | |||
1881年 | 明治14年 | 住友大阪本店支配人(上級三等=重役)に昇進 | |
1886年 | 明治19年 | 住友大阪本店支配人(上級二等=重役)に昇進 | |
1894年 | 明治27年 | 2月 別子大改革のため、単身別子銅山へ向かう | |
7月 別子銅山支配人へ転任 | |||
1897年 | 明治30年 | 1月 住友家総理事心特に就任 | |
1899年 | 明治32年 | 住友大阪本店へ帰任 | |
1900年 | 明治33年 | 1月 住友家第二代総理事に就任 | |
1907年 | 明治37年 | 7月 総理事を辞職 | |
1926年 | 大正15年 | 10月 80才にて死去 |