観光ボランティアガイド養成講座
〜別子銅山通史 明治以降その1,2〜
講師:元別子銅山記念館館長 井上省二先生
場所 |
新居浜市市民文化センター |
取材日 |
2000年9月21日 2000年10月12日 |
時間 |
19:00〜21:00 |
今回はいつもお世話になっている井上省二先生を講師として、別子銅山の明治以降の歴史について二回に渡りお話をしていただきました。
別子銅山の歴史を語れるのは、やはり、井上省二先生 |
幕末から明治にかけての話では、全国的に銅山の経営が難しくなり、住友も銅山を十万両で売るという話がでてきていたのを広瀬宰平が説得し阻止したことから始まりました。
明治期には銅製錬を高度にするため、外国人技師が入ってきます。
その当時、広瀬宰平の月給が百円に対し、ルイ・ラロックは六百円、七百円とも言われているところから、外国人技師がいかに高く評価されていたかがわかります。
その時も、広瀬宰平は近代化を図り、改革を起こしたりと活躍していきました。
植林からは、伊庭貞剛の活躍が始まり、水処理や公害問題を解決します。
講演中の様子 |
計四時間のお話はとても細かく、詳しく進んでいきました。
別子の歴史は何度聞いても「スゴイ・・・!!」という感想になってしまいますが、自分が住んでいる町でこんなドラマが展開され、発展していったことにただただ感嘆するだけです。
その歴史を追いかけ、ホームページとして蘇らせようとしています。
この町にある山への熱い気持ちが少しでも伝わればと思っています。
小松 洋子