『別子銅山と環境保全』
講師 (財)自由時間デザイン協会研究主幹 丁野 朗先生
日 | 平成12年10月25日(水) |
場所 | ウイメンズプラザ新居浜 |
時間 | 18:00〜20:00 |
第3回目となる講座は、(財)自由時間デザイン協会の研究主幹である丁野朗さんが、『別子銅山と環境保全』と題してお話下さいました。
丁野 朗先生は、私たちの活動を大変評価していただいています。 | 皆さん、真剣に興味深く聴いていました。 |
よく言われる公害には、フロンガスによるオゾン層の破壊、酸性雨が原因で起こる森林減少による環境破壊、水質汚染、などがありますが、別子銅山では、製錬所の煙突から出る煙(亜硫酸ガス)による煙害で木々が枯れ農作物にも大きな被害がおよび、その解決のために長い間苦労しました。
別子では全国より遙かに早く煙害の克服に向けて動きました。
山の緑が減少したことから伊庭貞剛は、当時(1894年)山根の生子山にあった精錬所を廃止し、新居浜の沖合20qにある四阪島に移設しようと考えました。
四阪島とは、新居浜市の北方20qにあり美ノ島、家ノ島、明神島、鼠島(ねずみじま)を合わせて四阪島と総称します。
しかし、四阪島に移設したことにより、かえって煙が風に乗って広範囲に被害が広がるという皮肉な結果となりましたが、住友はその煙害と戦い、煙害をなくしたいという強い想いが通じ、昭和14年(1939)煙害の克服に成功しました。
煙害の発生から解決まで長い時間がかかりましたが、全国で初めて公害を克服し、我が国の公害克服の原点となっています。
また別子の山に目を向けると、山には緑が戻り、秋には、きれいな紅葉がを見ることができます。
この緑の山は伊庭貞剛の発案によって始められた植林事業の成果です。
煙害の他にも別子には、多くの環境問題がありましたが、ひとつずつ克服して今に至っているということでした。
自然との共存できる企業がこれからの新しい時代に求められていることだと思いました。
産業の発展と環境問題は切り離して考えられないものだということこの学習講座で学びました。
黒田 美樹