観光ボランティアガイド養成講座
〜東平(とうなる)の生活〜
講師:マイントピア別子観光ボランティアガイド
原 茂夫先生・石川登貴代先生
場所 |
新居浜市市民文化センター |
取材日 |
2000年11月16日 |
時間 |
19:00〜21:00 |
11月の観光ボランティアガイド養成講座では、東平のご出身で、東平撤退まで生活をされておられた、原 茂夫さんと石川登貴代さんを講師としてお迎えし、東平の生活についてお話しをお聞きしました。
原 茂夫さんは私たちのホームページ作成の際に写真をはじめ、東平小中学校の閉校式の録音テープなど様々な資料をご提供いただき、大変お世話になりました。
石川登貴代さんは資料のご提供をいただいたり、私たちの活動を様々な場所でご紹介していただき多くの方に知っていただくことができました。
原 茂夫先生 | 石川登貴代先生 |
はじめに、原 茂夫さんから地理的なことについて教えていただきました。
当時、東平は二つの地域に分かれていたそうです。
その線が一の森と二の森を結んだ線で、東が中萩区、西が角野区でした。
また、山での水について触れられ、喜三谷社宅にある谷の水は非常にきれいで、東平全体へ水を供給するために水取り口があり、東平まで直径50cm程の鉄管が通っておりました。
そこを鉄管道(てっかんみち:てっかみちともいう)と呼び、その上を通るとツルツルと滑り危なかったなど、体験をふまえて東平地理のお話をお聞きしました。
東平のスライド写真は現在の航空写真から始まり、当時の一の森・坑内・索道・東平・呉木・東平小学校の校章など35枚の説明をお聞きしながら見ました。
カラー写真も初めて拝見し、モノクロでしか知らなかった私たちに大きな感動を与えていただきました。
その一部については、私たちのホームページでご紹介させていただいています。
石川登貴代先生のお話の中で特に印象に残ったものは、遠距離通学生のお話でした。
河又(こうまた)から東平の4Kmを一時間かけて登校していたそうです。
別子山村側の中七番からはかご電車で30分かけて通学をしていましたが、台風で第三通道が浸水したときは電車が動かないので、なんと銅山越をして登校していたそうです。
私も一度銅山越をしましたが、あの山道を、しかも台風の中と考えると・・・とても考えられないことです。
私たちは東平のことを知りません。
しかし、このような講座やお話をお聞きしながら勉強し、東平をもういちど自分たちの手でよみがえらせたいです。
小松 洋子