第6回産業遺産モデル学習講座
『別子銅山と周辺文化』
講師 住友史料館主席研究員 末岡照啓先生
日 | 平成12年12月6日(水) |
場所 | ウイメンズプラザ新居浜 |
時間 | 18:00〜20:00 |
第6回を迎えた産業遺産モデル学習講座は、住友史料館主席研究員であり、広瀬歴史記念館の名誉館長である末岡照啓さんが別子銅山や周辺の文化についてお話下さいました。
講師: 末岡 照啓先生 |
末岡先生のお話に引き込まれていきます |
はじめ、別子の銅がどのようなところに使用されているか?
そして、別子銅山開坑200年祭について、最後は、惣開(そうびらき)のお話でした。
日本の財閥・グルーフ゜は、鉱山、工業を資本にはじめたところが多いそうです。
別子の銅は江戸時代には、海外との貿易のために使われていました。
他にも、橋や琴平(こんぴら)の灯籠、皇居広場にある楠木正成の銅像などは、別子の銅が使用されています。
楠木正成の銅像の製作者は高村光雲(たかむらこううん)、後藤貞行(ごとうさだゆき)、山田鬼斎(やまだきさい)、石川光明(いしかわみつあき)、岡崎雪聲(おかざきせっせい)です。
そうそうたるメンバーが協力して作っています。
高村光雲が製作主任として主に頭を、後藤貞行が馬を、山田鬼斎・石川光明が、甲冑その他身体部分を、岡崎雪聲が鋳造をそれぞれ担当しました。制作中は、色々と苦労があったそうです。
現在は、存在しませんが廣瀬宰平の銅像も別子銅で出来ていました。
木型は残っているのですが、今同じものを復元しようとすると、とてつもなくお金がかかるとか・・・・
明治23年(1891)5月、別子銅山は元禄4年(1691)の開坑から200年を迎えました。
当時は、惣開製錬所が本格的に操業し始めたことであり、工業都市新居浜のスタートでもありました。
惣開製錬所は工業都市新居浜の原点といえる存在です。
開坑200年を記念して惣開に石碑が立てられました。
碑文には、惣開についてと、今後の銅山についてしるされています。
これは、広瀬宰平が記したものです。
現在も惣開の住友化学工業株式会社愛媛工場内に立っているそうです。
今回は、今まで知らなかった銅の使用方法や別子にとって大きな意味のある惣開という地域のことを知ることが出来ました。
黒田 美樹