感想
1年次 磯野 弘貴
12月26〜27日まで島根県大田市の石見銀山に行きました。
今年の7月に産業遺産としてアジアで初めて世界遺産登録になりました。
私は、今年の夏に石見銀山に行きましたが長蛇の列になっていたため見ることができませんでした。
地元観光ガイドの安立さんが2日間に渡り案内してくださいました。
初日は、世界遺産センターの中を案内、その後大久保間歩に行きました。
大久保間歩では今、コウモリが冬眠しているため入れませんでしたが、来年の春には一般公開をすることになっているそうです。
石銀集落跡を見せていただき当時の家の間取りを見て、家の中で製錬を行っていたのにはおどろきでした。
翌日、バスに乗り、途中徒歩で龍源寺間歩へ行きました。
途中に、高橋家という旧家の中にはなんと防火用のために25mプールの水の量が蓄えられていて、表からはまったくそのようなことが感じられず驚きました。
いよいよ龍源寺間歩に入り、別子銅山の歓喜坑と比べると狭かったですが、当時のノミの跡が残されていて。
その後、再び大森地区の町並みを見物しました。
当時の風景が感じられていて、愛媛県の内子町に似ていると思いました。
石見銀山資料館にも入館し様々な資料を見学することができました。
ガイドの安立さんには、2日間に渡り私たちのために山中までご案内いただき、大変感謝しています。
ガイドが無ければ見え方や考え方が違うと思います。
この2日間研修遠征をして、世界遺産(World Heritage)を守ろうとする地域の人々の思いが私達に伝わりました。
まず世界遺産(World Heritage)に登録するには、市民の思いが最も大切であることが大切であることを知りました、私も、別子銅山について新居浜市民の方々にもそのことを伝えていきたいです。
この2日間で学んだことを今後の部活に生かしていきたいです。
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石見銀山公園で
説明を受けている様子 |
あちこちに間歩が見られます。 |
1年次 曽我部 菖平
今回初めてとなる島根県大田市の石見銀山に2日間学習に行きました。
別子銅山と石見銀山では、どのような違いがあるのかということが、今回の目的でした。
初日は、ガイドの安立聖さんが世界遺産センターの中を案内してくださいました。
その後、大久保間歩と本谷地区に行きました。
本谷地区は、間歩と呼ばれる穴がたくさんあり、昔その中で銀を掘っていました。
その中には、大久保間歩と呼ばれる、石見銀山の中でもっとも大きな間歩を見学しました。
冬の間は大久保間歩内にコウモリが冬眠していたため入れませんでしたが、コウモリと共存できる遺跡作りをしていくと言われてました。
次の日、龍源寺間歩へ行くためにバスに乗り、途中からは落石があったため徒歩で移動しました。
龍源寺間歩は狭かったけど、当時使われていた坑道がそのまま残っていました。
掘った跡が分かりどの方向に掘っているかなど掘り方がよく分かりました。
その中は非常に狭く大変でしたが、貴重なものを見させていただき、感激しました。
その後大森地区の町並みを歩いて見回りました。当事の風景が感じられ、この景観を残すためにたくさんの市民の方が努力があったからこそこの風景が残っているんだと思いました。
石見銀山資料館にはビデオ教材やいろんな資料があり、目移りが激しいほどの量で時間が足りませんでした。
この2日間での学習を通して、地域の方々が自分達のふるさとを守ろうとする成果が世界遺産につながったんだと思います。
別子銅山が世界遺産に登録されるには、大田市の地域の方が石見銀山を知っているように、別子銅山のことを新居浜市の地域の方が知っていることも必要であり、地域の方々の協力があって初めて世界遺産に登録できることだと分かりました。
この2日間で学んだことを今後生かしていきたいと思います。
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世界遺産センターで石見銀山の
全体像を説明されている様子 |
本谷地区石銀(いしがね)に
向けて上っている様子 |
1年次 橋海太
私は今回12月26〜27日の2日間かけて島根の大田市にある世界遺産の石見銀山に行き、地域の方との交流やガイドさんとの交流を通して、石見銀山について様々な事を学んできました。
1日目は早朝の5時に学校を緊張と楽しみがある中出発しました。
石見銀山のある大田市に着いて車の中から眺めていると、石見銀山の世界遺産登録のシールが至る所にあり町全体が石見銀山に染まっていました。
1日目に早速、石見銀山ガイドの会の安立さんと一緒に石見銀山に登りました。
石見銀山はとても坂がきつくて別子銅山よりもしんどかった気がします。
来年の春に公開予定の大久保間歩の中には入れませんでしたが、中を覗いてみるとその中は下りになっていてすぐに小さい段がありこれが本当の坑道なんだと思い、感動しました。
安立さんの説明は歴史などもおりまぜながら説明してくださり、楽しく分かりやすい説明でした。
石見銀山の間歩は約600箇所あり、とても多くの間歩があります。人の手でこんなにも数多くの間歩を掘られていたんだと思うと凄いと思いました。
その後、大森地区の町並みを見学し、歴史を学びました。
大森地区の町並みは昔の風情が残っていて町全体が昔の風景で大変好きになり大森地区にまた行きたいと思いました。
2日目は龍源寺間歩の中に入って見学しました。
龍源寺間歩の中はマイントピアにある観光坑道よりも高さや幅が狭くて、昔の人が手彫りで掘った坑道でした。
坑内は一直線の道や横に掘った道があったり、また長い道やすぐに掘るのをやめた跡もありました。
また昔の人は上向きに掘っていたことも分かり、凄いという言葉しかなかったです。
パネルなどの展示が最後の方にあり、昔の様子がさらによく分かりました。
坑道を出た所に石見銀山の鉄鉱石がありました。
最後に石見銀山資料館を見学しました。
石見銀山は別子銅山と、似ていたけど、道具の名前や坑道を照らす明かりなどは違っていました。
今回、銀山の町の方との交流を通して別子銅山との違いや共通点を見つけることができました。
石見銀山は町全体が石見銀山の取り組みに関わっていて、新居浜も大田市みたいに市全体がもっと銅山の事をよく理解して市全体で盛り上げていけたら良いなと思います。
今回の研修で得たことをヒントにして、私は最終的に新居浜の人が別子銅山のことを少しでも理解し、次の世代へと続く架け橋となり、ずっとずっと別子銅山が受け継がれていくように努力していきたいと思います。
そのような中で取り組みを積み重ねていく中世界遺産になってほしいと思います。
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石銀集落に立つ
Y字の枯れたマツの木 |
下から撮った石銀集落の写真 |
1年次 辻本光佑
12月26・27日まで島根県大田市の石見銀山に行きました。
初日は、観光ガイドの安立聖さんに世界遺産センターをはじめ大久保間歩など山中を含めてガイドをしていただきながら石見銀山を巡りました。
石見銀山最大の坑道といわれる大久保間歩は、坑内に入れませんでしたが、来年の春に一般公開されるそうなのでまた来てみたいと思いました。
翌日は、まず龍源寺間歩を見学、その後、石見銀山資料館・町並みの見学を行いました。
龍源寺間歩ではとても長い坑道を見せていただきました。歩いていて頭をぶつけそうなぐらい低い坑道でした。
この坑道を掘っていた坑夫さんはとても大変なところで掘っていたんだなと思いました。
資料館では石見の銀鉱石だけでなく銅鉱石や見たことがない鉱石がありました。
鉱石には、少し興味があるのでとても楽しく見ることができました。
町並み見学では江戸時代に建てられた家やお寺を見ました。初日にも見学しましたが2日目のほうがたくさん回りました。
資料館では、ビデオを見ました。
この2日間、石見銀山の伝統である、お寺や町並みを守ろうとする思いが僕たちに伝わりました。
まず世界遺産に登録するには、地域の人々が産業遺産を知っていかなければいけないので、別子銅山も新居浜市民に伝えていきたいです。
この2日間で学んだことを今後の部活に生かしていきたいです。
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岩盤加工遺構の様子 |
石銀集落の1番間歩の様子 |
1年次 古川 竜也
私達は、12月26日〜27日まで、石見銀山に行ってきました。
2007年に世界遺産登録された石見銀山と、僕たちの新居浜市にある別子銅山は、どのように違うのか・・・僕はその違いを見つけることを、一番の目的としました。
まず一日目は、午後からガイドの安立さんと一緒に、世界遺産センターを見学しました。
そのあと、本谷地区に行きました。本谷地区は、間歩と呼ばれる穴がたくさんありました。
その中には、大久保間歩と呼ばれる、非常に大きなものもありました。
その中は非常に狭く大変でしたが、当時の穴などが残っており、自然のままの姿で、とても貴重なものを拝見させていただき、とても勉強になりました。
そのあとは、町並みを見学しました。新居浜市では絶対に見られない光景でした。
そして二日目は、まず最初に龍源寺間歩に行きました。龍源寺間歩の中は、思っていたより狭く、非常に驚きました。
そのあと、資料館に行きました。さまざまな資料が展示されており、非常に興味を持ちました。
そして最後に、町並みを見学しました。
当時のままの姿で残された家やお寺は、とてもきれいでした。
家のかわらも特別なもので、とてもつるつるしていました。
今回の見学は、ガイドの安立さんがいなくては成り立たなかったと思います。
ガイドの方がいて下さることで当時の人たちに思いを寄せることができました。
部員同士の交流もでき、とてもよい学習ができました。
またこのような機会があれば、もっと銀山のことを知ってみたいと思います。
最後に、今回の僕なりの目的であった、石見銀山と別子銅山の違いは、やっぱり市民の取り組みの違いでした。
だから、今後もっと別子銅山を地域の方に知っていただき、市民全員が別子銅山の大事さを意識して、守っていきたいと思いました。
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大久保間歩、説明の様子 |
大久保間歩の写真 |
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大きく開いている本間部 |
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