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上部鉄道跡取材


場所 別子鉱山上部線跡
取材日 2003年(平成15年)8月1日
時間 8:30〜17:30

 8月1日に別子鉱山上部線跡(通称:上部鉄道跡)の取材に行きました。

 上部鉄道は明治26年(1893)に日本で初めての山岳鉄道として完成しました。

 今年でちょうど110年目の年になります。

 また、6月に行われた観光ボランティア学習講座で、石川 勉さんから上部鉄道のお話をお聞きして大変興味を持っていました。

 そして初めて訪れる場所でもあり、どんな産業遺産が残っているのか非常に楽しみでした。

 今回の経路は、東平から角石原へ登り、角石原から石ヶ山丈まで、約5.5kmの鉄道跡を取材してきました。

第三通洞で住友のマークを見つけました。 第三通洞で住友のマークを見つけました。
第三通洞で住友のマークを見つけました。
 

 今回の取材の出発地点となった第三通洞です。

 よく整備されていて、通洞内の様子も見ることができました。

 通洞の上には住友のマークが掘り込まれてました。

 私はもちろんですが、何度も訪れていた先生や先輩も初めて知ったのことでした。

 その第三通洞を横目に登山道を一路角石原へ向かいました。

 ずいぶん傾斜がきつく、途中何度も休みながら、1時間あまりかけて角石原へ到着しました。


銅山峰ヒュッテ
銅山峰ヒュッテ

 角石原は上部鉄道の発着駅が設置されたところです。

 その駅舎跡は銅山峰ヒュッテとして銅山を訪れる人々のオアシスとなっています。

 

千人塚 千人塚
千人塚
 
 角石原駅だった銅山峰ヒュッテを出発し、いよいよ上部鉄道へ10分ほど歩くと、千人塚へ到着しました。

 千人塚は山で行き倒れ亡くなった無縁の人を埋葬した人と言われてますが、佐々木 幹朗著書≪すみとも風土記≫の中で、伊藤 玉男さんが「でも本当は、山で働いていた夫婦が間引きした子供を葬った墓なんです」とおっしゃっています。

 その事を知って山の生活の厳しさを感じました。そして安らかに眠ってほしいと思いました。

 千人塚をこえて一路石ヶ山丈に向けて出発です。

山肌に重厚な様子を見せる唐谷三連橋 山肌に重厚な様子を見せる唐谷三連橋
山肌に重厚な様子を見せる唐谷三連橋

 
 千人塚からいくつかの橋を渡り15分ほどで唐谷三連橋に着きました。

 レンガで橋脚を見て、山中にこれだけのものが、人力で作られたと思うと感動しました。

 木で橋をつくり、渡していますが、老朽化で渡ることができなかったのは、残念でした。


紫石 紫石
紫石
 
 唐谷三連橋を後に、いくつかの橋を渡り、途中一本松停車場跡で昼食を取りました。

 さらに先に進むと、紫岩と言われる大きな一枚岩に出会いました。

 あまりの大きさにビックリしました。


釘が出ていて危ないところもありました。
釘が出ていて危ないところもありました。

 橋の老朽化が進み何箇所か釘が出て危ないところがあったので上部鉄道に行くときは気をつけてください。

切通しの現在の様子
切通しの現在の様子

 紫石を後に、さらに鉄道跡を進んでいくと、両側から岩にはさまれた場所にでます。

 ここが切通しです。この大きな岩を当時の人たちが、どのように工事をしたのか気になります。

 先生に言われるまでここが切通しとは気がつかないほどに木が生えていました。

 この岩を切って鉄道を走らせた先人のエネルギーは凄いと思いました。

 切通しをぬけると、いよいよ終着となる石ヶ山丈です。

 まず見えてくるのが、機関庫の溝です。

 

索道基地跡 索道基地跡
索道基地跡
  
 写真で見ると分かりずらいですが、溝の深さには大人の背丈程あります。


石ヶ山丈駅跡 石ヶ山丈駅跡
石ヶ山丈駅跡
 
 石ヶ山丈の周辺はレンガだたみとなっており、当時の駅の設備の偉大さを感じることができます。

 しばらく、辺りを探索した後、帰路につきました。



不思議な穴 不思議な穴
不思議な穴

 上部鉄道沿いに何箇所か石で積み上げて囲いを作っているところがありました。

 石炭入れの跡だと考えたのですが、なんでしょうか? どなたか分かる方教えてください。

 上部鉄道の中間地点となる一本松地点から東平へ下山しました。

 上部鉄道跡に行って山登りはとても疲れましたが、上部鉄道の歴史を自分の目で見ることができとてもいい経験ができました。

 三連橋などの大きな橋をどのように掛けたのかがとても興味を持ちました。

 
今度は下部鉄道も歩いてみたいと思います。

伊藤 司


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