場 所 |
下部鉄道跡 |
年月日 |
2004年(平成16年)年5月29日 |
時 間 |
9:00〜14:30 |
2004年5月29日、私たちは、住友下部線跡、いわゆる下部鉄道を取材しました。
下部鉄道は、明治26年(1893)3月15日に完成しました。
今から111年前になります。
そして、昭和52年(1977)までの84年間使用されました。
下部鉄道全線としては、端出場から惣開まで、約10km余りありますが、今回取材を行ったのは、山根収銅所付近(内宮神社)から、端出場までの間です。
初めに、山根収銅所から出発しました。 |
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下部鉄道があった場所 |
ここを歩きました。
今から27年前までこの道に線路があり、列車が走っていました。 |
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下部鉄道跡から見た
生子山の山根製錬所跡 |
かなりズームしていますが、肉眼でも見ることができます。 |
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物言嶽(ものいわだけ)トンネル
重厚なレンガ造りでできています。
中へ入るとずいぶん涼しかったです。
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車屋トンネル
レンガでできています。
写真の右のほうに見えるコンクリートは線路の跡ではありません。坑内排水を通すためのものです。
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左の写真
←が、トンネル入り口の上の部分にあります。書かれていたものは、分からなくなっています。 |
右の写真
トンネルの天井に、ガイシがありました。 |
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黒石駅の跡 |
立っている場所がプラットホームです。
草が茂っているところが線路があった場所です。
しかし、草の中に線路は残っていません。 |
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檜尾川(ひのきおがわ)にかかるアーチ型の桧尾川橋梁 |
現在の橋は、昭和6年(1931)ごろに架け直された橋です。 |
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坑水路用桁跡 |
坑水路は下部鉄道に沿って山根収銅所まで続いていました。
こんな上を通っていたんですね。 |
住友金属鉱山株式会社の許可を得て立ち入らせていただき、取材させていただきました。
勝手に立ち入ることはできませんので、ご注意ください。 |
感想
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下部鉄道の取材をして、昔の人の技術はすごいなと思いました。
トンネルはレンガで作られていて、改めてすごいと思いました。
また、両脇が岩になっているところを通った時、山に鉄道を作るために、山を切り抜いて平面を作っていると聞いたときは、本当に驚きました。
今日この下部鉄道のページをつくって思ったことは、いろんな場所や建物がありすぎて、難しいなと思いました。
橋の名前だけでも、すぐ忘れてしまいそうです。
それに加えて、地名などになると、ほとんど分からなくなります。
しかし、下部鉄道跡は別子山や東平などの取材にいつも見えるところなので、その度に思い出して、学習したいと思います。 |
中元 佳美 |
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