マインからマインドへ トップページへ戻る 石ヶ山丈貯水池跡への取材活動

場 所 石ヶ山丈貯水池跡
年月日 2005年(平成17年)4月5日
時 間 9:00〜18:00

 東平のご出身の福田 晃さん、土場 謙治さん、石川 登貴代さんのご案内により、端出場水力発電所の送水管跡や貯水池跡を取材しました。

 石ヶ山丈貯水池跡はこれまで訪れたいと思っていましたが、行き方がわからず、ガイドブックを制作する上で最後の場所ともなり、大変貴重な機会となりました。

牛車道(ぎゅうしゃみち)をひたすら上ります。 途中短縮のため斜面を上がりました・・・
牛車道(ぎゅうしゃみち)を
ひたすら上ります。
途中短縮のため斜面を
上がりました・・・
何度も地図で位置を確認しながら進みます。 送水管を支えたコンクリートの土台が規則的に並んで残っています。写真上部が、山の斜面の下になります。端出場水力発電所まで続いています。

  送水管を支えたコンクリートの土台が
 規則的に並んで残っています。

  写真上部が、山の斜面の下になります。
  端出場水力発電所まで続いています。
 何度も地図で位置を
 確認しながら進みます。
まだ送水管の一部が残っています。
まだ送水管の一部が残っています。

 明治期に作られた牛舎道を上がっていましたが、あまりにも時間がかかるため、途中短縮のために山の急な斜面を上がりました。

 所どころ雪の残ったまだ寒さの残る気温でしたが、大汗をかきながらの取材活動でした。

 また、山中を歩いていると、送水管やその土台まで見ることができ、しんどさの中にも感動が多くありました。

目の前に大きな煉瓦の建造物が現れました。圧巻です! 山の中にこんなに綺麗に作り上げています。
目の前に大きなレンガの建造物が
現われました。圧巻です!
山の中にこんなに
綺麗に作り上げています。
送水口が二つありました。送水管は一本なのに、不思議です。 ここらから、発電所へ一気に596メートル下へ送水しました。
送水口が二つありました。
送水管は一本なのに、不思議です。
ここらから、発電所へ一気に
596メートル下へ送水しました。
ようやく到着しました! 貯水池の中で昼食です。
ようやく到着しました! 貯水池の中で昼食です。

 4時間かけようやく到着しました。

 レンガづくりの巨大な建造物をが姿を見せた時は、息をのむ思いでした。

 また、貯水池跡から望む新居浜のまち、瀬戸内海に浮かぶ島々の景色も感動的でした。

 ここで落とされた水で発電された電気がここかに見える四阪島まで運ばれていることも思い浮かべながら、しばらく時間がたつのを忘れていました。

 貯水池の中に降りて、食べた昼食もまた格別でした。

 当時、ここが水でいっぱいに満たされていたなんて、想像ができなかったです。

新居浜のまち、瀬戸内海も一望 写真中央に御代島が見えます。そのむこうにかすんでいるのが四阪島
新居浜のまち、瀬戸内海も一望
写真中央に御代島が見えます。
その向こうにかすんでいるのが四阪島
この先に東平があります。第三通洞まで続いています。 すべてレンガ造りです。途中トンネルも作られています。
この先に東平があります。
第三通洞まで続いています。
すべてレンガ造りです。
途中トンネルも作られています。


 こんな山中に、巨大なレンガの建造物が残っているなんて、想像できませんでした。

 しかも、正確にレンガが並べられ、90年以上が経過しても狂いのない状態で残っていて、先人たちの技術力の素晴らしさや仕事に対する思いが直接肌に伝わってきました。

 この貯水池に送られて来た水は、遥か別子山の銅山川の水でした。

 第三通胴を通り、このレンガの水路を延々と流れてここに貯められ、一気に596メートルの下まで落とされ、端出場水力発電所で発電されました。

 当時、その落差は日本一でしたが、これらの建造物もまさに日本一だと思います。

 今日の石ヶ山丈貯水池跡の取材は初めてでした。

 山道はとても大変でしたが、これだけの建造物を目の当たりにすることができて、とても収穫の多い取材となりました。

 ガイドブックでこの感動を多くの人たちに伝えていきたいと思います。

 長時間の取材にご協力いただいた、福田 晃さん、土場 謙治さん、石川 登貴代さんに改めて感謝申し上げます。

 ありがとうございました。
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