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河野 米次郎さん聞き取り調査
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場 所 |
本校(ICT教室) |
年月日 |
2007年(平成19年) 9月15日 |
時 間 |
10:00〜 12:30 |
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河野 米次郎さんに鹿森の説明を
していただいている様子 |
取材全体の様子 |
鹿森ご出身で、社宅の警備のお仕事をされていた河野 米次郎さんにご来校いただき、当時のお話を聞かせていただきました。
その時に、別子銅山で働かれていた山川 静雄さんとご一緒にご来校していただきました。
河野 米次郎さんは太平洋戦争時、海軍飛行予科練習生として飛行訓練を受けられたご経験をお持ちでした。
終戦後は、鹿森社宅の警備員に就き、社宅に住む人々の安全を守られました。
その中で別子銅山の社宅では最も早かった生協の創立に深く関わられ住民と一体となってご活躍されたことを知りました。
また、台風の際に子供たちが通学路を通ることが危険になったため、立ち入ることが禁止されていた会社内へこちらの方が安全性が高いとして通し、このことによって河野さんご自身が会社からおしかりを受けたこともお話してくださいました。
河野 米次郎さんの他人の目線に立ってお仕事をされている姿を知って大変感動しました。
また鹿森の人の温かさや昔の鹿森が、今の日本では失われつつあるようなことを今日のお話で感じることができました。
この思いを多くの方に伝えていきたいと思います。 |
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場 所 |
本校(ICT教室) |
年月日 |
2007年(平成19年) 9月15日 |
時 間 |
10:00〜12:30 |
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山川 静雄さんにお話を
お伺いしている様子 |
調査課で鉱脈を探す探鉱のお仕事をされていた、山川 静雄さんご来校いただき、当時のお話を聞かせていただきました。
鉱脈を探すために、いくつもの山を越えたこと、あるいは坑内の様子などについて具体的にお話してくださいました。
採鉱は別子銅山の行く先を決定するためのお仕事で、別子銅山そのものの運命を左右する大きな役割を持っています。
いつ落盤が起こるか分からない漆黒の闇の中、キャップランプの明かりのみを頼りに仕事に携わった恐怖。
しかし、その中で結ばれた仲間との絆の深さ、そして、仕事への誇りになどについて教えてくださいました。
お話を通して、命がけの仕事の厳しさやその中でこそ生まれた人間関係、仕事の誇りを直接感じることができました。
貴重なお話を大切に残し、伝えていきたいです。 |
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