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別子銅山中国人強制連行被害者のお話を聞く会 |
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場所 |
東平・新居浜市民文化センター |
年月日 |
2008年(平成20年)5月20日 |
時間 |
10:00〜17:00 |
今年の5月25日に中国の河北省から張 志祥(ちょう ししょう)さんが新居浜の地へ63年ぶりに来てくださいました。
張 志祥さんは第2次世界大戦中に別子銅山に強制連行され、採鉱労働を強いられていました。
ご高齢ながら実際に現地へ赴いて、友の供養をし、また新居浜市民の前で辛く悲惨な過去や日本で覚えた日本語などをお話してくださりました。
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写真中央、帽子を被っているのが
張 志祥さんです。 |
東平にて張 志祥さん
を囲んで記念写真を撮りました。 |
現地の東平に着いた張 志祥(ちょう ししょう)さんは少し悲しそうな表情をされていました。
張 志祥(ちょう ししょう)さんは足が悪く、車いすで現地に来られました。
慰霊祭では杖を使いながらご自分の足で、お花を添えて仲間を惜しんでいました。
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愛媛大学准教授和田 寿博先生から
強制連行について学んでいます。
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僕たちは午前の現地でのお話は聞けませんでしたが、新居浜市民文化センターで行われたお話に参加をさせていただき、始まる前に和田 寿博さんに強制連行とはどういうものかを教えていただきました。
ボードに張ってあった写真はどれもひどく色々な所に傷痕がありました。
和田 寿博先生に強制連行について教わり、強制連行とはどういうものかわかりました。
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佐々木 龍市長さんより
ごあいさつがありました。 |
中国人総領事館政治文化室室長の
殷 達奇(いん たつき)さんより
ごあいさつがありました。 |
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張 志祥さん講演の様子 |
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たくさんの方が来てくださっています。 |
愛媛大学准教授和田 寿博先生の
お話です。 |
文化センターでのお話ではまず始めに新居浜市長の佐々木 龍市長からごあいさつがあり、次に中国人総領事館政治文化室室長の殷 達奇さんよりご挨拶がありました。
このお話を聞く会では張 志祥さんが別子銅山で覚えた数字「138」や1〜10までの数字や、日本語で「ありがとうございます」などの言葉を言ってくれました。
その他にも労工の唄という歌を歌ってくださいました。
労工の唄とは別子銅山で採鉱労働している時に中国人の人が作った歌です。
日本人には分からないように中国語で歌われていました。
張 志祥(ちょう ししょう)さんはこの労工の唄をゆっくりと力強く歌われていました。
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張 志祥さんに
ガイドブックや資料を
プレゼントしました。 |
張 志祥さんと、記念写真 |
最後に張 志祥さんと交流させていただきました。
僕たちとお話をされている時の張 志祥(ちょう ししょう)さんは、お話の会での表情より笑顔で、僕たちと接してくださっていました。
張 志祥さんにガイドブック、銅山人の詩をプレゼントすると大変喜んでいました。
最後に張 志祥さんは若い僕達に、インターネットを使った情報発信の大切さや、若い僕達が伝えていくことの重要性について、期待の声をいただきました。
この別子銅山中国人強制連行被害者のお話を聞く会で、僕たちは大変貴重なお話会になったと思いました。
中国人強制連行をされ、日本人の言うことを聞かないと叩かれたりされましたが、僕たちには優しく接してくれていて僕たちが少しでもこの別子銅山中国人強制連行被害者のお話を聞く会で聞いた事をちゃんと情報発信していきたいと思いました。 |
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