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私たちは、地域に残る近代化産業遺産である「別子銅山」について学習する活動を行っています。
別子銅山の学習をしていく中で、郷土に残る近代化産業遺産の素晴らしさや、それを支えた先人達のことなど、今まで全く知らなかったことを知ることができました。
それは、思っていたより私たちの身近にあり、普段何気なく通っている道に、別子銅山と関係があるものがあったり、実は自分の祖父が四阪島で働いていたことを知ったり、家の近所に別子銅山で働かれていた人がお住まいになっていたりと、大変驚きました。
私は、別子銅山を学習し、地域の素晴らしさを再発見することができました。
今まであまり感じていなかった地元の魅力を強く感じました。
私は、私が感じた地元の魅力を、もっと多くの方々に伝えたい、情報科学部の先輩たちから引き継いだ、「郷土を愛する心」をもっと多くの方々に触れてもらいたい、その一心で今回のホームページ作成を始めました。
第8回「ぼくの街わたしの村」マイタウンマップ・コンクールの応募作品から7年が経ちました。
7年前から蓄積してきた、先輩たちと私たちの活動を、今年作品にするということで、私たちがホームページを作成するという、重大な役割を請け負いました。
完成という目標に向かうまでに、私はあることを心に決めて作成してきました。
「第三者の目から見てホームページを作成する」ということです。
私たちの心を伝えるには、初心に帰り、別子銅山について何の知識もない、初めて「別子銅山」の名を聞く方たちの気持ちにならなければなりませんでした。
誰が見ても分かるページ、私が目標にしているホームページはそのようなページでした。
試行錯誤を繰り返したり、マインドマップを用いたり、さまざまな方法で案を出し合いました。
しかし、情報量は莫大。ホームページ作成は、とても困難なものでした。
ページのレイアウト、作品内容、作業分担など、朝9時から夜の9時過ぎまで作業をしても、私たちにとっては1時間程度にしか感じられませんでした。
それに加え、ホームページを作成していく中で、さまざまなアクシデントに見舞われ、心が折れそうにもなりましたが、部員一同心を一つにし、なんとか完成しました。
私たちは、妥協など一つもなく、誠心誠意作成しました。
しかし、私たちの活動はこれで終わりではありません。
これからもさらに活動の幅を広げ、まずは地域内に私たちの心の種をまき、その種から芽が出始めたころに、地域外に向け心の種をまきたいと思います。
「郷土を愛する心」。このホームページを見てくださった方々に、この心の種が芽生えたら嬉しく思います。
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古川 竜也 |
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作品制作にするにあたって、僕たちがこの大会で目指すものは、日本一になることです。
そのためにまず、これまでの作品を見て、作品のレイアウトなど重要なポイントを見つけ、部員たちと一緒に討論し、試行錯誤しながら、ようやくレイアウトが完成できました。
これをもとに、1分1秒の時間も大切にしながら、作ってきました。
私が住んでいる新居浜市では、普段生活している中で、通学の道、建物が新居浜に残る郷土の遺産だと、思いませんでした。
活動していく中で、多くの人と出会い、温かさ、優しさなど、コミュニケーションをとることで感じられ、いろんな方々からの情報をもとに現地取材をしたなかで、新たな魅力の再発見ができました。
この発見したことを私たちの心の中に閉じ込めるのでなく、多くの方々に伝えていこうと考えていき、このホームページ制作に足を踏みました。
このホームページは、これまで先輩が制作してきた、ガイドブック、学習ビデオ、さらに私たちの活動を含め7年間全ての記録がつまっています。
制作をはじめるにあたって最も大切なのが作品のコンセプトです。私は、そのコンセプトのイメージ作成を担当しました。
メインテーマは、「マインからマインドへ」です。
Mind=心=ハート=人の「心」を思いつき、「道」「動」「導」の3つの言葉の周りにハートマークを配置し、何度も思い悩みながらの作業でしたが、完成した時は大変な喜びと満足でいっぱいでした。
また、最も大変だったことは、ガイドブックのページ作成でした。
別子銅山の近代化産業遺産の主な88か所を紹介し、ガイドブック、1冊に収められています。
各か所のページには、人物、施設、教育などたくさんの分類を行い、さまざまな角度からページを見ることができるように工夫しました。
制作後を通して別子銅山は、いろんな切り口から学習できることを学び大きな発見でした。一つ、一つのページを作り込むのにとても時間がかかりました。
作品制作で時間との戦いもありました。午前9時から午後9時まで行い、いろんなアクシデントに見舞われましたが、部員一同が一致団結をして、ようやくホームページが完成できました。
これを製作したことにより、現在の私が持っている思考力、責任感、団結力、集中力を高めることができ、未来の私のために、体を磨けることができました。
完成したことで終わりではなく、ここからが新たなスタートです。
私たちは、地域内、地域外に伝える「想い」は、機械やインターネットだけでは、限界があると思います。
私たちが語り部として、いろんな方々と直接触れ合いながら、「想い」を伝えていきたいです。
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磯野 弘貴 |
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今回のホームぺージを作るにあたり、今までに見たことがないような別子銅山についての公式ホームぺージになるページを作りたいと思い、みんなで力を合わせ制作をしてきました。
今までは取材活動が中心の活動でしたが、今回は新しく、分かりやすく、見やすく、小学6年生あたりから大人までを対象としたページ作りを行っています。
私はフラッシュビデオプレイヤーの作成に初めて取り組みました。
さまざまなプレイヤーがインターネット上にありますが、どうしてもオリジナルとして作りたかったので頑張って挑戦をしました。
作っていく課程でうまく作動しなかったりと、何回も試行を重ねましたが途中越えられないような壁がありました。
しかし仲間のおかげで何とか乗り切ることができました。
先輩達のデータもまとめると、約10年分もの大量のデータをまとめることになります。
この作業が一番大変でした。
ページ作成の時には、主に技術面でのサポートやページを作ったりしました。
途中、体調を崩したり生活リズムが不規則になったりといろいろな困難がありましたが、みんなで力を合わせてページが完成したことは、自分の大きな成長にもつながりました。
時間に押し迫られる中の制作でしたが、妥協という言葉はなく、この作品に私たちの持てる力すべてを出し切ることができました。
このホームページをご覧になって1人でも多くの方が別子銅山について興味を持ってくれたらとてもうれしいです。
また、このホームページを参考にまちを作っていく、まち学習のきっかけになればと思います。
このようなページを作るのはこれが最後になるかもしれませんが、私が活動してきた中で学んできたことは、価値は人一人で決めるのではなくいろいろな視点から見て誰もが共感できるものだと思いました。
たくさんの人とふれあって、いろいろな文化を知ることができ自分の中にあった文化についての理解を深めることができました。
この活動は自分の中でもとても大きいものとなりました。
また、私はこの活動がこれですべて終わったと思うわけではなく、これからまた新しい活動へと道が切り開かれるものだと思い、活動を続けていきたいと思います。 |
曽我部 菖平 |
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今回このホームページを作らせていただく中で、イメージビデオを担当し、写真を選んでいる中で、今までの先輩の活動をたくさん見てきて、この作品を作っている時に、先輩たちと一緒になってこの作品を作っているという感覚になりました。
この作品は、情報科学部の10年間の思い、先輩たちの思い、地域の方々への恩返しなど、たくさんの人々の思いが詰まった作品になりました。
この作品を見れば、これまで先輩や私たち後輩の活動、学んできた事、別子銅山の事がよくわかります。
今回はその中で3つの文字を使いました。
この「道」と「動」と「導」ですが、これは勉強のことにもあてはまると思います。
まず始めに道ですが、これはまず学ぶ事から始まります。
はじめは誰でも先生から教わる、勉強する道が必要だと思い、「道」です。
「動」は実際に勉強していて疑問に思った事や分らない事などは、実際に自分で先生に聞きに行ったり資料で調べたりする事、「動」だと思います。
最後の「導」は、今まで学んできた事を友達に教えたり、子供がいたら自分の子供に学んだことを教える。
今まで自分で学んで来た事は、最初は作られた道を歩んできたけれど、今度は自分が導く例となる、そのような活動の繰り返しの中で、人と人とが、めぐり逢い、心の輪が広がっていくとおもいます。
その輪の中心にあるのが、私たちのまちの礎である別子銅山です。
この作品をご覧になって少しでも別子銅山ってすごい、一回現地で見てみたいと思っていただければ幸いです。
最後に、この作品を作る際にこれまでお世話になった方は数多くおられます。
私の家族もこの活動を応援してくれ、大きな心の支えとなりました。
この作品を通して皆様に恩返し出来たらと思います。
これからも全国の人に別子銅山をアピールするので、応援よろしくお願いします。
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高橋 海太 |
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この作品は情報科学部が活動してきた10年間を1つにまとめた作品です。
10年間収集してきたデータは膨大です。
これらを1つにまとめるのはとても大変でした。
なかなか良い言葉が出てこなくて、部員たちで何日も話し合いを続けました。
タイトルが決まった後はさらにコンセプトづくりです。
ページづくりに取り掛かる前に、全体のイメージ、個々のページのレイアウトなど何度も紙の上に設計図を書きました。
ガイドブックページの作成をしていきました。
ガイドブックページは88ヶ所のデータを加工して、ページに貼り付けるという作業でした。
裏表なので176枚の画像を加工する作業でした。
携帯電話版ガイドブックバーコードやリンクも1つ1つ貼り間違いがないか確かめていきました。
活動ページや分野ごとのページも同じように作っていきました。
上書き保存の間違いで最初から作り直したページもありました。
作り直したあともリンクが貼れていないなどで手直しをしていきました。
全て作り終わったあとも細かいところまで手直しを繰り返して1つ1つ完成させていきました。
この作品を作りながら情報科学部の10年間の活動を見直していたら、自分もこの部活に入って本当に良かったと改めて思いました。
体験者の方の聞き取り調査で貴重なお話をお聞きしたり、ボランティアガイドで全国の方に別子銅山のことを知っていただいたりできるからです。
新居浜に住んでいる人でも、名前しか知らない人が多く、私もその1人でした。
しかし、この部活に入ってさまざまなことを知りました。
だから、この部活で知ったことを全国の人に知ってもらいたいです。
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辻本 光佑 |
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