いしかわ    ときよ
       石川 登貴代さん
石川 登貴代さん
 昭和19年(1944)東平に生まれる。

 昭和43年(1968)の閉山まで東平で生活する。

 別子学園東平小学校、別子学園東平中学校、新居浜市内の高校卒業後、東平中学校の事務職員となる。

 昭和36年(1961)学校が公立に移管し、新居浜市立東平中学校となる。

 東平を降りた後は、市役所の職員として勤務する。

 現在は、別子銅山の観光ボランティアガイドとして活躍する。
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タイトル  電話が無く放送で呼び出していた時の様子について
収録時間  1分19秒
内容  当時はどこの家にも電話はありませんでした。
 その代わりに会社自身が持っている電話をみんなで使っていました。
 電話は数が少なく置いている場所も決まっているので電話が掛ってくると放送で呼ばれて電話が置いている場所まで走っていました。 
収録日 2007年(平成19年)8月2日 本校にて収録
タイトル  かご電車の思い出
収録時間  1分49秒
内容  新居浜と別子側を結んでいた唯一の交通機関であったご電車という電車がありました。
 東平〜日浦まで1日3回通っていました。この電車を使って東平にある学校に通っていました。
 また台風でトンネルの中が水でいっぱいになり電車が動けなかったときは山を越えて学校に来ていました。
収録日 2007年(平成19年)8月2日 本校にて収録
タイトル  山頂にプールができたこと、海浜館へ行ったこと
収録時間  2分1秒
内容  新しく変わってきた校長先生が山の子供たちのために会社に頼みプールを開校50周年記念の時につくってもらいました。
 このプールはもし会社で火事会った時のために備えて防火用水も兼ねていました。
 小学校4年生以上になると3泊4日で海浜館まで来て泳ぐ練習をしていました。
収録日 2007年(平成19年)8月2日 本校にて収録
タイトル  東平では事件・事故が無かったこと、給料運搬について
収録時間  1分15秒
内容  学校の事務職員になった時に毎月学校の先生たちの給料を山道を女一人で毎月運んでいました。
 ある時校長先生が危ないからと代ってくれましたが危ないからと言って毎月校長先生が運ぶようになりました。
 東平では鍵を閉めたりする習慣があまりなかったそうです。
収録日 2007年(平成19年)8月2日 本校にて収録
タイトル  呉木社宅と閉山時に降った大雪の様子について
収録時間  2分2秒
内容  呉木社宅での施設・設備の数や場所などを説明してくれました。
 東平撤退のために荷物を運ぶ準備をしていたが大雪が降り電車がなかなか動かなかったときのお話です。
収録日 2007年(平成19年)8月2日 本校にて収録