かたがみ とみこ
  
 片上 富子さん
片上 富子さん
 大正10年(1921)越智郡宮窪町(現:今治市宮窪町)四阪島に生まれる。

 7歳まで四阪島で生活後、新居浜市へ転居し現在に至る。
 戦前、戦後と住友化学株式会社に勤め、特に戦後は寮母として23年間勤める。

 寮生の「お母さん」として、故郷を離れた若手社員の生活面から精神面まで幅広くサポートし、今なお元寮生より慕われ続けている。

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タイトル  終戦と広島の原爆
収録時間  3分29秒
内容  原子爆弾。広島に落とされた、終戦を告げた爆弾。
 その爆弾から放たれた放射能は、日本中に悲しみを与えたのです。
収録日 2008年(平成20年)8月12日 ご自宅にて収録
タイトル  昭和初期の四阪島と新居浜の様子
収録時間  0分51秒
内容  今治市の宮窪町に位置する四阪島。
 昭和のはじめ、四阪島にはたくさんの街灯があり、夜出かける際に用いる、ちょうちんというものを知りませんでした。
 
収録日 2008年(平成20年)8月12日 ご自宅にて収録
タイトル  水のくみあげ
収録時間  1分54秒
内容  四阪島には、湧き水がありませんでした。
 そのため、新居浜から引き船を使って水を運んでいました。
 四阪島にあるタンクに水を入れて、そこから水をくんでいました。
 これが、お母さんの仕事でした。
収録日 2008年(平成20年)8月12日 ご自宅にて収録
タイトル  潮風呂
収録時間  2分17秒
内容  四阪島は、水が不自由だったため、「潮風呂」 と呼ばれる、海水を沸かした風呂に入っていました。
 お風呂から出る際に、塩分を落とすため、あらかじめバケツに入れた真水をお風呂につけて温めておき、掛け湯として使いました。
 島の人たちは配給による限られた水を、少しでも有効に使うために、さまざまな工夫をしていました。
収録日 2008年(平成20年)8月12日 ご自宅にて収録
タイトル  寮母をされたこと
収録時間  1分43秒
内容  終戦後、会社の寮母になり、全国からきた寮生のお世話をしました。
 寮生に「お母さん」として慕われ、現在でも元寮生との交流も深い。
収録日 2008年(平成20年)8月12日 ご自宅にて収録
タイトル  ネズミの話
収録時間  1分55秒
内容  四阪島には、ネズミが多く生息していました。
 そのため、島の事務所では捕まえたネズミを、一銭か二銭ほどのお金に換えてくれていました。
 ネズミを捕ることにより、島の衛生面も守られていました。
収録日 2008年(平成20年)8月12日 ご自宅にて収録
タイトル  島の暮らし
収録時間  1分54秒
内容  今考えれば、四阪島は良いところでした。
 瀬戸内海は綺麗で、魚も新鮮。
 鯛漁の船から聞こえてくる、歌声。
 そして、島の人たちの温かな心。
 四阪島は、島人の優しい心があふれる島だったのです。
収録日 2008年(平成20年)8月12日 ご自宅にて収録