まなべ    まゆみ
    眞鍋 眞弓さん         
眞鍋 眞弓さん
 昭和9年(1934)に新居浜に生まれる。

 別子銅山の支柱夫として働いた父(伊東染一さん)を持つ。

 第二次世界大戦中、捕虜となって別子銅山で働かされていたアメリカ兵に接する父の後姿を見て育つ。
※映像データの読み込みに時間がかかる場合があります。 眞鍋 眞弓さん
タイトル  戦時中別子銅山で捕虜として働かされていたアメリカ兵と父との心温まるエピソード
収録時間  4分24秒
内容  捕虜として働かされていたアメリカ兵を温かい心で接する父の姿を見ていた。
 冬になれば暖を取るためのものを作って渡してあげたりといろいろと助けていました。
 アメリカ兵に対して優しく接する人がたくさんいたそうです。
収録日 2008年(平成20年)6月14日 本校にて収録
タイトル  アメリカ兵の捕虜収容所があった場所について
収録時間  1分12秒
内容  捕虜として連れてこられたアメリカ兵捕虜収容所があった場所について。
 臨時に駅もできていたなどあまり知られていない。
  
収録日 2008年(平成20年)6月14日 本校にて収録
タイトル  父親に「必ず帰れる」と捕虜が語っていたこと
収録時間  1分13秒
内容  捕虜として捕らえられていた人たちは必ず帰れるという頭があったから暴動は一切起こらなかったそうです。
 日本側も監視は付けていたが特別に見ていたということはなかったみたいです。
収録日 2008年(平成20年)6月14日 本校にて収録
タイトル  収容所の位置や環境、人数について
収録時間  1分11秒
内容  収容所はとても広く今では知っている人しかわからないくらい変わっています。
 施設もだいぶ大きいものだった。
  
収録日 2008年(平成20年)6月14日 本校にて収録
タイトル  新居浜に大きな空襲がなく焼夷弾程度で済んで理由について
収録時間  2分30秒
内容  新居浜には捕虜で連れて来られた人が多くいたため焼夷弾くらいで済んだと言われています。
収録日 2008年(平成20年)6月14日 本校にて収録
タイトル  収容所の建物の様子と捕虜が列車に乗る様子
収録時間  1分33秒
内容  収容所は一般の人は中を見ることはできなかったそうです。
 子どもたちは見たことがない人(捕虜)がいたため怖かったという記憶があったそうです。
収録日 2008年(平成20年)6月14日 本校にて収録
タイトル  捕虜が列車に乗っている様子
収録時間  0分52秒
内容  電車では窓はあけっぱなしで逃げることはできるみたいだったがそういうことはなかったみたいです。
収録日 2008年(平成20年)6月14日 本校にて収録