まつおか  たつや                   
     
松岡 達也さん 
松岡 達也さん
 昭和2年(1927)今治市大三島に生まれる。

 太平洋戦争中には、予科練生(海軍飛行予科練練習生)として志願し厳しい訓練を受けた。

 広島県の糸崎鉄道学校を卒業後、昭和20年(1945)に別子鉱山鉄道に勤務する。

 別子鉱山鉄道下部係の機関士として、別子1号をはじめ歴代の機関車を20年間無事故で運転をする。
※映像データの読み込みに時間がかかる場合があります。 松岡 達也さん
タイトル  20年の運転を振り返って
収録時間  1分1秒
内容  著名な鉱山技師が別子鉱山勤務になったときには鉱山鉄道には乗るなと言われたくらい危ないところでした。
 20年も神経を過敏に使い30代くらいで白髪になったくらいの苦労をしました。
  収録日 2007年(平成19年)8月2日 本校にて収録
タイトル  カンテラの明かりを頼りに運転
収録時間  2分1秒
内容  昔の機関車は油でライトとして使用していましたが前が全然見えませんでした。
 暗いので前に障害物があったりしたら大変なので、毎日一番列車で通る時は「安全運転ができますように」と気持ちでお願いをしました。
 最後に帰る時は感謝の気持ちで願ってから帰っていました。 
収録日 2007年(平成19年)8月2日 本校にて収録
タイトル  予科練時代
収録時間  1分41秒
内容  戦時中、予科練に行っていました。
 その時は訓練中でしたが戦争が長引いていればこうしてお話をすることはなかったかもしれません。
収録日 2007年(平成19年)8月2日 本校にて収録
タイトル  時代とともに採掘される鉱石の質の変化
収録時間  0分37秒
内容  観光地で売られているようなキラキラしている良い鉱石が入ったときには沢山ありましたが、次第に少なくなっていきました。
収録日 2007年(平成19年)8月2日 本校にて収録
タイトル  機関車の最高時速は?
収録時間  1分42秒
内容  早く帰りたい気持ちから端出場〜星越の間10分ぐらいで帰ってしまったことがありました。
 平常運転では20Km以上で走ったことがないそうです。
収録日 2007年(平成19年)8月2日 本校にて収録
タイトル  投炭の様子
収録時間  1分35秒
内容  学校であった実習で機関車の焚口に燃料を入れる練習をしました。
 たくさん入れてもいけないし少なくてもいけないとても難しい作業だそうです。
収録日 2007年(平成19年)8月2日 本校にて収録
タイトル  自分の苦労をPRするために
収録時間  1分47秒
内容  自分の苦労をPRするために課長や係長が乗っているときにPRするための悪さをしていました。
 また当時は、少し変わった遊びもしていました。
収録日 2007年(平成19年)8月2日 本校にて収録
タイトル  別子1号機関車などを運転したこと
収録時間  1分59秒
内容  別子1号機関車を運転した時の体験談です。
 使われていた期間、電気機関車に交代した時期など機関車にまつわることを詳しくお話しされています。
収録日 2007年(平成19年)8月2日 本校にて収録