ちょう    ししょう      
   張 志祥さん
張 志祥さん
 1924年中国に生まれる。現在、河北省に在住。

 第二次世界大戦中、別子銅山に強制連行され、採鉱労働などを強いられる。

 別子銅山には1944年11月以降、中国から662人が連行され191人が死亡、2人が不明になる。

 愛媛大学や有志により2008年5月20日、被害者として初来日。

 収容所のあった東平地区にて追悼式に臨む。

 また、新居浜市民文化センターにおいて市民らを前に記憶を語る。
※映像データの読み込みに時間がかかる場合があります。 張 志祥さん
タイトル  来日に際してのあいさつ
収録時間  0分24秒
内容  60年ぶりに日本に来日してみて、こんなにも多くの人たちが別子銅山俘虜のことに関心をしてくれたことに、感謝をしていました。
収録日 2008年(平成20年)5月20日
新居浜市東平地区にて収録
タイトル  再びこの地へ来ての思い
収録時間  0分44秒
内容  日本で強制連行で連れてこられ、働かされていたことを思い出します。 非常に寒く、飢えて多くの仲間たちが亡くなりました。
 総勢130人余りが亡くなった事を覚えていました。
 
収録日 2008年(平成20年)5月20日
新居浜市東平地区にて収録
タイトル           ろうこう
 現地で歌う労工の歌
収録時間  0分53秒
内容  労工とは、別子銅山で働いていた自分たちのことをさしています。
 当時の苦しさ、辛さを歌っています。
 中国語で歌っているので、日本人には分かりません。
 この歌は、自分たちを勇気付けて頑張っていこうという意味が込められているそうです。
収録日 2008年(平成20年)5月20日
新居浜市東平地区にて収録
タイトル  覚えている日本語
収録時間  0分47秒
内容  日本語で答えないと暴力を受けました。
 今でも覚えている日本語を話されました。
 
収録日 2008年(平成20年)5月20日
新居浜市東平地区にて収録
タイトル  追悼式への思い
収録時間  1分35秒
内容  この追悼式を日本人の方達と一緒にしてもらい、亡くなった労工達のことを考え知ってくれたことを感謝しています。
 亡くなられた友達を思い出し、ひどい目にあわされたことがとても辛かったそうです。
 慰霊碑も作っていただき忘れなかったことが、亡くなった友達の魂も安らぐと思います。
収録日 2008年(平成20年)5月20日
新居浜市東平地区にて収録
タイトル  当時のつらい体験について
収録時間  1分30秒
内容  当時はお腹がすごく空いたイメージが強く残っており、冬なのに1枚しか服は着させてくれなくて、靴も履かせてくれなかった。
 足が滑らないように草を足に巻きつけて歩いていました。
収録日 2008年(平成20年)5月20日
新居浜市東平地区にて収録
タイトル  日本人に伝えたいこと
収録時間  0分35秒
内容  過ぎたことは歴史になりましたが、この歴史は忘れないようにしてください。
 日中友好のために、2度と同じようなことを繰り返さないようにしてほしいです。
 それが私の願いです。
収録日 2008年(平成20年)5月20日
新居浜市市民文化センターにて収録