やまかわ      しずお                   
   山川 静雄さん
 
山川 静雄さん
 昭和5年(1930)鹿森に生まれました。

 昭和42年(1967)まで鹿森で生活しました。

 調査課(鉱脈を探す仕事)に就き、昭和48年(1973)別子銅山の休山まで従事しました。

 別子銅山の運命を背負い、山中、坑内などあらゆる所で日夜鉱脈を求め探し続けました。

 現在、鹿森会事務局長および山村研究会の事務局長を務めています。

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タイトル  キャップランプを頼りに絆を結ぶ
収録時間  0分35秒
内容  坑内の中には灯りがなく、キャップランプのあかりだけが頼りでした。
 危険な作業現場の中、わずかな灯りを頼りに、仲間たちと絆を深めていました。
収録日 2007年9月15日 本校にて収録
タイトル  探鉱の仕事への誇り
収録時間  0分49秒
内容  別子銅山の運命をになう、鉱脈を探す仕事が、「探鉱」でした。
 その仕事に、山川さんは誇りを持っていました。

収録日 2007年9月15日 本校にて収録
タイトル  坑内・社宅の人間関係について
収録時間  1分29秒
内容  坑内の中や、社宅の中は、仲間との人間関係が大切でした。
 坑内の中は、鉱山の中で一番危険な場所でした。
 そのため、仲間同士が心から信頼し、人間的な繋がりが大事でした。
 社宅というのは、一般の家庭と比べて、一つのまとまりとして生活するので、お互いが信頼できるような環境づくりをしていました。
収録日 2007年9月15日 本校にて収録
タイトル  山の学校の運動会について
収録時間  2分9秒
内容  鹿森は、山の斜面を切り開いた場所でした。
 そのため、あまり土地がありませんでした。
 しかし、非常に小さいグラウンドの中で一日中、笑いがたえない運動会をしていました。
収録日 2007年9月15日 本校にて収録
タイトル  風呂場でのコミュニケーションについて
収録時間  0分57秒
内容  鹿森に住む1500人全員が、一つだけあるお風呂場に集まって、入浴していました。
 親と子や、友達同士の触れ合いについて、語ってくれました。
収録日 2007年9月15日 本校にて収録
タイトル  戦後の混乱期と子どもの教育を大切に考えた鹿森の人々
収録時間  2分25秒
内容  第二次世界大戦で、「戦争」という目的に強引に引っ張られていたが、戦争が終わったことによりなくなりました。
 そのため、会社や個人の生活にも非常に影響し、混乱期を迎えました。
 しかし、子供の教育を大切に考えた大人たちは、行事を行ったりして、教育に努めました。
 個々の繋がりを大切にし、大きな目的意識のなかで、子供たちは温かい心を育みました。
収録日 2007年9月15日 本校にて収録