喜三谷(きそうだに)社宅


雪の喜三谷社宅
 雪の喜三谷 昭和30年(1955)撮影 別子銅山記念館蔵 


喜三谷入口  喜三谷(きそうだに)社宅の名前の由来は、昔、喜三という人物がで木炭を焼いていたからという伝説からだそうです。
 喜三谷には、大正10年(1921)11月9日現在92戸の労働者の社宅がありました。
 昭和42年(1967)76戸の社宅を撤去しています。

 現在、喜三谷への道は平成10年(1998)台風により崖崩れのため、通行止めになっています。
 残念ながら、現地取材に行くことが出来ませんでした。
 一刻も早い復旧がなされることを期待します。
 喜三谷入口   平成12年(2000)11月25日撮影

喜三谷社宅配置図 喜三谷社宅配置図が拡大されます。
昭和34年6月現在
別子銅山記念館蔵

別子ニュースを見る 東平に遊園地完成 −父兄の勤労奉仕で−
昭和30年8月10日発行 別子ニュースより
社宅メニューへ社宅メニューへ     

オープニング メインメニュー 産業の心 教育の心 生活の心 感謝の心