社宅

呉木の社宅と子供たち
 呉木の社宅と子供たち  昭和34年(1959) 日和佐初太郎氏撮影

 東平地区の社宅は、明治35年(1902)第三通洞の開通により、徐々に建設されはじめました。
 そして、明治38年(1905)〜明治39年(1906)にかけて完成したと言われています。
 一本松(いっぽんまつ)柳谷(やなぎだに)唐谷(からたに)第三(だいさん)喜三谷(きそうだに)東平(とうなる)辷坂(すべりざか)尾端(おばな)呉木(くれき)の社宅がありました。
 上記の写真は、呉木の社宅子供たちが凧揚げを楽しんででいる様子です。
 呉木の社宅は、段々畑のように建設され、夜見るとまるで高層アパートのように見えました。
 写真上部の2階建ては、自彊舎(じきょうしゃ)、さらにその右上には小学校が見えます。

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東平(とうなる)社宅 呉木(くれき)社宅 辷坂(すべりざか)社宅
尾端(おばな)社宅 第三社宅 喜三谷(きそうだに)社宅


東平地区集落別の福利厚生等の施設一覧表
集落名 傭員社宅 労働者社宅 飯場 守衛、人事場所 クラブ 浴場 巡査派出所 豆腐
上東平 52 1 1 1 55
下東平 64 64
一本松 1 185 1 1 1 2 1 192
柳谷 67 1 1 1 70
唐谷 19 19
喜三谷 92 1 1 1 95
第三 9 9
上呉木 78 78
中呉木 76 1 1 1 1 1 1 83
土方長屋 12 12
下呉木 40 40
尾端 20 45 65
辷坂 51 1 1 56
ベルトン 5 5
137 679 4 2 6 7 3 1 839
大正10年11月9日現在
別子銅山記念館蔵

別子ニュースを見る 東平でスキーブーム
昭和35年2月10日発行 別子ニュースより
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昭和38年1月10日発行 別子ニュースより


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原茂夫さん 
 平成12年(2000)7月24日 本校にて収録 
 土地の工夫について  (1分12秒)  ビデオの再生 903KB
 子供の頃の遊びについて  (0分58秒) ビデオの再生734KB
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 「しば門」について  (0分53秒) ビデオの再生672KB


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