平和への祈り |
太平洋戦争は別子銅山にも暗い影を落としました。 別子銅山を学習する中で、さまざまな人と交流が深まりました。 その中で、強制連行され働かされた中国人の張志祥さんとの出逢いがありました、 私たちは今まで別子銅山の学習をしてきて、「郷土発展の礎」などとばかり言ってきました。 しかし、張志祥さんと出逢い、別子銅山の暗い歴史を知りました。 別子銅山に強制連行させられ、日本人にひどい扱いを受けていたことを知り、非常に心が痛みました。 別子銅山の明るい歴史はたくさんあります。 ところが、このような暗い歴史を忘れがちになって、今このことを知る人は多くいません。 私たちは、「昔のことだ。私たちには関係ない。」などとは考えず、別子銅山の暗い歴史も忘れずに、 しっかりと受け止め、伝えていきます。 張志祥さんから、僕達へメッセージをいただきました。 若い僕達に、インターネットを使った情報発信の大切さや、若い僕達が伝えていくことの重要性について、期待の声をいただきました。 そのとき、初めて笑顔を見せていただき、その笑顔は忘れることは出来ません。 その活動を、NHKで放送していただきました。 その番組を見てくださっていた方が、別子銅山の暗い歴史の中にも、暖かい歴史がある!!と、ご連絡くださいました。 その方にもお話をお聞きすることもできました。 また、私たちは新しい活動として、新居浜ユネスコ協会の青年部が発足しました。 「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」 という、ユネスコ憲章にのっとり、私たちはこのような活動を通して、平和へのメッセージを伝えていきたいです。 ふるさとの宝である別子銅山を通して、平和への祈りへつなげていきたいと思います。 このコーナーは、このような戦争に関わる体験談も掲載し、命の大切さや、平和な世界を築くきっかけになることを願って作成しています。 |
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銅山人の方たち | お名前 | 別子銅山との関わり |
かたがみとみこ 片上富子さん |
大正10年(1921)四阪島に生まれました。 戦前、戦後と住友化学株式会社に勤め、特に戦後は寮母として勤めました。 |
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ちょうししょう 張志祥さん |
1924年中国に生まれる。現在、河北省に在住。 第二次世界大戦中、別子銅山に強制連行され、採鉱労働などを強いられる。 愛媛大学や有志により2008年5月20日、被害者として初来日。 |
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まなべまゆみ 眞鍋眞弓さん |
昭和9年(1934)に新居浜に生まれました。 第二次世界大戦中、捕虜となって別子銅山で働かされていたアメリカ兵に接する父の後姿を見て育ちました。 |