リサイクルの島へ生まれ変わった四阪島 手前の島が美濃(みの)島、工場の島が家の島、中央上の小さな島は鼠(ねずみ)島 平成13年(2001)11月15日ヘリコプターより撮影 |
四阪島は、昭和51年(1976)に銅製錬が終結しました。 そして、翌昭和52年(1977)から酸化亜鉛製造設備が稼働しました。 産業廃棄物から亜鉛を取り出し、酸化亜鉛団鉱・酸化亜鉛焼鉱を製造しています。 「日本で初めて公害問題を克服した島」が、 さらに「リサイクルの島」として生まれ変わったのです。 |
私たちが初めて四阪島を訪れたのは、平成13年(2001)4月5日、桜がきれいに咲き、暖かい日でした。 環境問題をテーマにホームページ制作をしようと計画していることを聞いた、住友金属鉱山株式会社のご厚意により、私たちにとっては近くて遠い島、四阪島を実際に自分たちの足で見て回ることが出来ました。 勉強不足のこともあり、驚きと発見の連続する一日でした。 |
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桜の先に工場を望む 平成13年(2001)4月5日撮影 | |||
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アメリカから送られた青い目の人形 「ブルーちゃん」 平成13年(2001)4月5日撮影 |
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日暮別邸(ひぐらしべってい)は、15代住友家家長住友吉左衛門友純(元治元年〜大正15年、1864〜1899)の別邸として明治37年(1904)5月に竣工しました。 木造3階立ての建物で明治39年(1906)に完成しました。 建設者は、大阪府立図書館(明治36年竣工、重要文化財)を設計したことで知られる建築家、野口孫市氏です。 現在、別邸は、住友金属鉱山株式会社の新入社員研修に利用されています。 |
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日暮別邸の遠景 平成13年(2001)4月5日撮影 | |||
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日暮別邸のリビング 平成13年(2001)4月5日撮影 | |||
四阪島は水がない島です。 そのため、鉱石や資材と共に新居浜から運んでいました。 そのため、とても貴重で、厳しい制限が行われていました。 各家に水がいくまで、子供たちは毎日タンクまで水をもらいにいき、家庭にある水瓶に貯えて大切に使用していました。 共同浴場は、海水を利用してしました。 海水風呂は、島の名物の一つでした。 |
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頂上タンク 平成13年(2001)4月5日撮影 | |||
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四阪島小学校 平成13年(2001)4月5日撮影 | |||
小学校の校舎の中を見学することができました。 教室は使用されていた当時のまま保存されていました。 多いときには、1000余名の子供たちがここに集まっていたそうです。 小さな机、小さな椅子、一つ一つには傷がたくさんありました。 それだけ、ここには多くの歴史と、思い出が詰まっているのでしょうか。 子供たちの声が消えた校舎は静かで、寂しい感じがしました。 |
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当時の姿をとどめる小学校の教室 平成13年(2001)4月5日撮影 |
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