瀬戸内海に浮かぶ四阪島(しさかじま)の全景 平成13年(2001)11月15日ヘリコプターより撮影 |
四阪島は住友金属鉱山株式会社所有の島々の総称です。 その島々とは・・・・・・ 社宅の美濃島(みのしま) 352,021u 工場の家の島(いえのしま) 267,982u 無人島の明神島(みょうじんじま) 408,042u 無人島の鼠島(ねずみじま) 37,505u 無人島の梶島(かじじま) 219,437u ・・・・・・の五つとなりますが、梶島は当初含まれず、精錬所移転後四阪島に属します。 また、美濃島と家の島は、島間の浅瀬を埋め立て繋ぎ合わせ、陸続きとなっています。 風光の美しい瀬戸内海、燧灘(ひうちなだ)の中心に位置し、愛媛県の今治市と新居浜市のそれぞれ20qで結ぶ正三角形の頂点に当たります。広島の尾道市からは南方40qの場所にあります。 気候は、四季を通じて温和で夏は涼しく、冬は雪や氷を見ることは、ほとんどありません。 雨は、瀬戸内海一般の例にもれず大変少なく、そのためもあり島内の湧水は少なく、飲料水や工場用水は一日約1,000tを新居浜から旅客兼水運搬船で運んでいます。 |
四阪島の特徴は、行政区分です。行政・立法・漁業関係は宮窪(みやくぼ)町が管轄、警察・電話・郵便は新居浜市が管轄、保健所は今治市が管轄、消防所は伯方(はかた)町が管轄、登記所は吉海(よしうみ)町が管轄、道路は私有地なので道路交通法が適用されないといった特色ある島です。 ここに、製錬所が建設されたきっかけは、当時新居浜市にあった山根(やまね)・惣開(そうびらき)両製錬所から排出される亜硫酸ガスにより、煙害問題が発生しました。 そこで、別子銅山支配人であった伊庭貞剛は、無人島だった四阪島を個人名義で当時9373円70銭で購入しました。(別子銅山の当時の年商は100万円前後) その際、個人名義とした理由は、別子銅山が失敗を恐れた結果でした。 関係者の心配に対して伊庭貞剛は、 『いや、心配には及ばん、 不適当だったらわしが買っておいて桃でも植えればよい』 と語り、安心させました。 この言葉から伊庭貞剛の雄大さが感じとれます。 |
四阪島の歴史年表 |
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塩野門之助 住友史料館所蔵 |
左の写真は、住友金属鉱山株式会社が所有する「みのはな」という高速艇です。四阪島への通勤船として使われています。 私たちが初めて四阪島を訪れるとき、住友金属鉱山株式会社のご厚意により通勤される方とともに乗船させていただきました。 所要時間は、新居浜市から四阪島まで片道30分です。 |
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通勤船「みのはな」 平成13年(2001)8月19日撮影 | |||
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水運搬船「みのしま」 平成13年8月19日撮影 | |||
電気は当初、島で発電していましいたが、様々な研究や試行錯誤の末、とうとう大正11年(1922)10月に海底ケーブルが完成し、新居浜から送電を始めました。 当時、ケーブル長19,312メートルは世界最長の長さを誇っていました。 以前は、5本でしたが、現在も2本が使用されています。 |
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当時世界最長のケーブル 平成13年(2001)4月5日撮影 | |||
宇都宮公昭工場長さんから事業説明をいただきました 平成13年(2001)4月5日撮影 |
四阪島の説明をされる高木俊雄さん(左)と萩尾隆雄さん(右) 平成13年(2001)4月5日撮影 |
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左の写真は、平成13年(2001)8月19日に観光ボランティアガイド養成講座で企画された現地学習会で四阪島を訪れた際の写真です。 私たちにとっては4月以来2回目の取材となり、大変懐かしく貴重な機会でした。 四阪島のメインストリートである銀座通りで高木俊雄さんにお話をお聴きしている場面です。この付近には、商店、共同浴場、散髪店などが立ち並び、島の住人が毎日一度は訪れる最も華やいだ場所でした。 |
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取材風景 平成13年(2001)8月19日撮影 |
一島一家会会長 田中昌一さん 平成12年(2000)2月15日 新居浜市民文化センター観光ボランティアガイドにて収録 |
四阪島の買収について (1分58秒) |
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四阪島での製錬の始まりについて (1分10秒) |
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